橋本裕の日記
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2002年12月30日(月) 結婚まで

32.賽の河原
 少し下流に鉄橋が見えた。木曽川は思ったよりも大きかった。対岸を見ると、釣り糸を垂れているらしい人が数人小さく見える。しかし、こちらの河原には人気がなく、私とK子のふたりだけだった。二人で河原の石の上に腰を下ろし、コンビニで買ったおむすびを食べていると、鉄橋を渡る電車の音がときおり響いてきた。

 おむすびを食べ終えて、お茶を飲んだ。それから、私は少し手持ちぶさたになって、小石を拾い、それを少し離れた川の流れの方に投げた。小石は途中の河原に落ちて、跳ね返ったあと、かろうじて流れの中に落ちた。私は少しむきになって立ち上がり二つ目を投げたが、今度は川の面にあたり、何度か跳ね返ってしぶきを上げた。

 K子が河原の石を積み上げていた。やがて八重ほどのかわいい石の塔が出来上がった。私は小石を拾い、その塔の方に投げた。思わぬ跳ね返り方をした小石が彼女の足首の上に当たった。
「ごめん、ごめん」
 私は彼女に近づいた。

 彼女は水色のソックスを穿いていた。それを脱がせて怪我の様子を見たが、それと認められる傷や皮膚の変色はなかった。
「思ったより小さな足だね」
「悪かったわね。ほら、手もこんなに小さいのよ」
 彼女は両手を広げて私の前に差し出した。

「私、小さいときからピアニストになるのが夢だったの。でも、手が小さいでしょう。こんな華奢な指だから、ピアニストは無理ね。でも、まあ、幼稚園でピアノを弾いたり、歌を歌ったりしているとほんとうに幸せなの」
「天職というわけだね」
「橋本さんは、高校の先生が天職なの」
「そうでもないな。何が天職だか、自分にそんなものがあるのかどうかも分からないよ」
「何だか、虚無的なのね」

 私には彼女の健康な笑顔がまぶしすぎた。その笑顔を壊してやりたくて、私は小石を拾うと、彼女の作った石塔の方に投げた。それは中程に命中し、はかなくも瓦解した。
「いじわるね。壊すのが趣味?」
「そうだよ。僕はデストロイヤーなんだ」
「だったら、気のすむまでどうぞ」
 彼女はまた同じものを作った。私はそれも壊した。

 彼女は立ち上がると、かなり離れたところに、再び石塔を作った。それから、戻ってきて、小石を拾うと投げ始めた。
「先にあてた方が勝ちよ。負けた方は、勝った人の言うことを一つだけ聞くの。いいわね」
 私も急いで小石を拾った。そうして二人で投げたが、今度はなかなかあたらなかった。しかし、先に当たったのは私だった。

「これで、君は僕の思い通りだ」
「困ったわ。でも、約束だものね」
「絶対に、僕の言うことを聞いてくれるのだね」
「だだし、一つだけよ」
「だったら、目を閉じて」
 彼女は目を閉じた。そこで私は唇を盗むべく近づいた。

 私の手が肩に触れると、彼女の両目が突然開いた。私はびくりとして、
「どうした?」
「もう、約束は果たしたわよ。ちゃんと目を閉じたでしょう」
 彼女の笑顔がまぶしかった。私はふと、凶暴な意志を感じた。S子と同じように、K子もまた身も世もないほどの悲しみの中で狂わせてやりたいと思った。
 私はかまわず抱きしめて、唇を吸った。

<今日の一句> あかあかと 河原の野火も 年の暮れ  裕


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