橋本裕の日記
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2002年12月29日(日) 暴力少年・N君の軌跡

4年前、私のクラスが学級崩壊したが、その時、とくに私の手を焼かせたのがN君だった。入学早々、N君は高価なバスケットシューズがなくなったと言ってやってきた。そこでいろいろと事情を訊き、心当たりをあたった。もちろん指導部や家庭にも連絡し、母親に謝罪した。担任としてはできるだけ手を尽くしたが、結局出てこなかった。

 その後、N君は他校の生徒とトラブルを起こしたり、他のクラスの生徒を殴りつけたりと、次々と事件を起こすのだが、その度に母親はシューズの盗難事件を持ち出して私を牽制した。悪いのは息子ばかりではなく、学校や他の生徒に問題があるというのである。また、N君の祖父が私の知らないうちに代議士をつれて校長に面会に来ていた。なんとか孫の処分を穏便にしてほしいというわけである。

 N君の外貌は、一見してまともである。髪を染めたり、すぐに教師につっかかってくる粗暴な生徒が私のクラスに何人もいたが、N君はこざっぱりとした身なりをしていて、容姿端麗で、はきはきとした受け答えをする。だから私もはじめはこの少年のことがよくわからなかった。

 やがて教室の掲示板が少しずつ破られ、最後はずたずたにされたり、消化器がぶちまけられたり、ガラスが破損したり、カーテンが引きちぎられたり、そうした事件が頻発したが、目撃者の証言のなかにいつもN君の影があった。N君を呼んで聞いてみたが、自分は知らないという。

 N君はその後も、私には直接暴言を吐いたりしなかったが、陰で「いつかぼこぼこにしてやる」などと言っていたようである。体育祭の前日には、「明日はみんなで休もうぜ」などとみんなを扇動し、実際に自分は学校にこなかった。何かクラスの行事があると、白けた言動を繰り返した。教科の先生から授業中に口笛が聞こえるのだが、どうもN君らしいと言う。そのうち、私の授業でさえ、クラス中に口笛が蔓延するようになった。紙飛行機が飛び始め、授業そのものが成立しなくなって行った。

 母親の言葉を信じる限り、家では模範的である。中学時代も何も問題がなかったという。暴力行為のとき、家庭訪問をしたが、父親の前でN君は直立不動だった。「夜の外出も禁止しています。でも、学校の友だちはみんな夜遊びしているというんですよ。授業の態度ももひどいそうですし」と、母親は最後までチクチクと学校の指導が片手落ちではないかという。自分たちの家庭がまともで、厳しすぎたので、子供に不満が蓄積し、爆発したのだと思っているようだった。

 しかし、母親は実のところこの少年のことを何も知らなかった。中学時代からすでにN君は問題児だった。教室に教えに来る先生にいやがらせをして、その女の先生を泣かせたり、すでに暴力行為もあったようである。それを私は指導部から回ってきた資料で知ったのだが、母親に言える雰囲気ではなかった。入学早々盗まれたという高価なバスケットシューズにしても、これがほんとうに「盗難」なのかどうか疑えた。

 ある日、私はN君を自分の車に載せて、家まで送っていったことがあった。「どうして、こう次々と問題ばかりおこすのかな。君みたいにいいご両親がそろっていて、家だって僕の家より数倍立派で、何不自由がないじゃないか。君は男前だし、頭も悪くはない。その上、喧嘩まで強いんだからな」

 N君の顔はきりっとした美人系の母親に似ている。普段は感情を表に現さずクールなところがかえってかっこいい。「喧嘩が強い」と言ったのはN君の心を開かせるための冗談だったが、意志も強く、運動能力もかなり高そうである。女生徒にももてそうだし、素質的にN君は私などよりはるかに恵まれているのではないか。高い能力を持ちながら、もったいない。もっと自分を大事にしてほしいと思った。しかし、こんなことは、もう何度も彼に話していた。

 N君はあいかわらず助手席で能面のような表情をかえなかったが、しばらくして、ぼそりと低い声で言った。
「自分でもよくわからないんです。何だかむしゃくしゃするんです」
 これがN君の本音のようだった。(続く)

<今日の一句> 豚鍋を 作りて妻待つ 年の暮れ  裕

 一昨日、私が夕食に豚鍋を作った。妻は今年は31日まで仕事だという。それも夜の7時過ぎまで。そこで私が得意の腕をふるった。学生時代に4年間自炊をしていたから、腕はたしかである。妻と娘が「うまい、うまい」と言って食べてくれた。ちなみに、昨日は8時過ぎに一家でラーメンを食べに行った。何だか、今年はわびしい年の暮れになりそうである。しかし、次女の大学受験で、なにかと費用がかかる。辛抱しなくては。


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