橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
| 2002年12月28日(土) |
荒れる学級と夜の宴会 |
さて、昨日に続いて、T先生の話である。先日、4年前の私のクラスの学級崩壊について書いたが、実は2年前にT先生も学級崩壊を経験している。しかも、状況が私の場合とほとんど同じである。
いじめ、暴力行為、喫煙などが立て続けにあり、教師に楯突く生徒がごろごろいて、三教室離れた私のクラスで授業をしていても、教師と生徒の怒鳴り合う声がきこえてくるほどだ。実際、このクラスに行っている数学の教師が生徒3人にいいがかりをつけられ、指の骨を折るという事件も起こっている。
怪我が治って授業に復帰したその先生が、おしゃべりをやめない生徒を注意すると、「また、骨を折られたいのか」とすごまれたという。こういう話をしょっちゅうきかされ、そのたびに矢面に立って本人や保護者とやりとりをしなければならない担任は大変である。学校を出るのが夜の8時を過ぎる場合もしょっちゅうあるし、休日に家庭訪問しなければならないこともある。
しかもT先生の場合も、転任してきて早々の1年生の担任である。教師歴30年近いベテランだと言っても、学校のしくみや、生徒の質は学校によって随分違っている。まずは、暗中模索で教室に行き、気心の知らない生徒を相手に授業を始めなければならない。だからたいへん緊張するのである。
この頃、私とT先生はよく夕食に行った。食事のあとはT先生行きつけのスナックへ行って、さらに飲んだり、カラオケをやる。実は私の家とT先生の家のあるk市とはかなり離れていて、スナックを出た後、T先生を車で家まで送り、さらに1時間ほど車を走らせなければならない。深夜、しかもアルコールの匂いを発散させながら帰宅すると、妻がご立腹である。しかし、私は「仕方がないんだよ。これも必要なことなんだ」と軽く受け流す。そのうちあきれて、何も言わなくなった。
飲酒運転覚悟で酒を飲み、T先生の愚痴をひとしきり聞いた後、おもいきり二人でカラオケをうたう。T先生がスナックのママと踊りながら笑顔を見せるころ、私は酔いさましに水ばかり飲み、財布の中身をしきりに気にするようになっている。これまで私はこうした夜を同僚と過ごした経験がなかった。そして私がT先生とこうしたつき合いをしたのも、その1年間だけである。
「もう、担任はこりごりだ」と言っていたT先生も、それから2年生、3年生と持ち上がりで同じ学年を担任した。その学年もあと数ケ月で卒業である。それでもまだまだ落ち行かず、つい先月もT先生のクラスの男子生徒がこともあろうに担任のT先生に暴言を吐いて辞めていった。「大変だね」というと、「それでも、一年生の頃に比べると、今は天国だよ」と言う。4年前に同じ惨状を経験した私も、「それはそうだ、今は天国だ」としみじみ思う。
学級崩壊の原因はいろいろあろうが、一つには担任の方に余裕がなくて、学校の規則を一方的に生徒に押しつけ、力ずくで生徒を押さえようとすることだろう。転任早々はどうしても学校の事情がわからないので、指導部や他の先生の苦情に敏感に反応して、指導が杓子定規になる。その結果、担任がクラスの生徒にうらまれるのである。私の場合は放課後に「担任死ね」の落書きを消すのが日課になってしまった。
しかし、学校に慣れ、生徒のことがわかってくると、そういう杓子定規で抑圧的な指導法はあまり実りがないことに気付く。そういう強圧的な指導法が通用する学校もたくさんあるが、少なくとも私の勤務校では通用しない。あくまで担任は自分の裁量で、生徒一人一人の心に向かい合い、ときには見て見ぬ振りをすることも必要になる。
そうした微妙なかけひきやさじ加減をしなければならないのだが、その基本にあるのは、やはり生徒を人間として認め、そしてできれば、同胞として親しみを込めて抱擁することだと思う。学級崩壊を経験して、こういうことが身にしみてよくわかった。考えてみると、4年前のあの荒れたどうしようもない生徒達が、実は私の「先生」だったのである。その中でも一番のワルだったN君のことを、明日は書いてみよう。
<今日の一句> 風花の 青き空より 我が肩へ 裕
昨日、風花を今年初めてみた。晴れた青い空から落ちてくる雪片を見ていると、幼い頃がなつかしくなり、さっそく福井の母に電話をした。肝臓を悪くして、週二回点滴を受けに病院に通っている母はいつか72歳だ。しかし、電話の母の声はいつまでも若い。
|