橋本裕の日記
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2002年12月19日(木) 国民の戦争責任

 戦争体験者の手記などを読んでいて感じるのは、もうこんなに悲惨な体験はこりごりだということだ。戦争の悲惨はこれを体験した人の文章を読むことによって、私たちのような戦争を知らない世代の者も、それなりにその恐ろしさを想像することが出来る。

 ところで、こうした戦争体験者の手記に書かれているのは、おおかた戦争による被害体験である。アジアに出兵していった兵士はむしろ侵略戦争の片棒を担いだ加害者ではないのか。しかしそうした加害体験が語られることはほとんどない。一般的傾向として、加害者意識は希薄で、被害者意識が濃厚のようである。

 敗戦後、軍部や政府の戦争責任を追及する声が一斉に上がった。このような悲惨な戦争へと国民を駆り立てた指導者達こそまさに第一級の責任を負うべきであることはいうまでもない。しかし、それでは一般国民にその責任はないのかと言えば、そうではないだろう。ジョン・ダワーは「敗北を抱きしめて」の中でこう書いている。

<左翼は「国民=民衆」の責任問題をだいたいにおいて回避した。とくに教条的な者は、民衆を国家とその抑圧的エリート支配者たちによる搾取の犠牲者として熱心に描き出そうとした>

 こうした国民大衆無罪=被害者論に、異論を持つ人もいた。たとえば国文学者の津田左右吉は、「国民はたしかに法的弾圧と軍部の宣伝とに騙されていたが、日本にはその時期を通してまがりなりにも選挙による議会がずっと存在したではないか」と、指摘している。また大阪の師範学校の教授は新聞にこんな投書をのせた。

<指導者だけであの大戦争を戦えるものではない。われわれ国民も踊らされ、追随して誤った侵略戦争に突入し、そしてみじめな敗戦を招いたのである。罪は指導者だけにあるのではなく、全国民ひとしく責任を負わなければならない>

 私は<全国民ひとしく責任を負わなければならない>とは考えない。権力や権利を持つ者の責任は、それだけ重くあってしかるべきである。しかし、軽重の差はあっても、国民大衆も又その地位や身分に応じてしかるべき責任を負うべきだとは思う。自己責任を回避し、被害者意識だけで書かれた手記には、心底よりの共感を寄せるわけにはいかない。それではどうして、このような傾向が生まれたのだろうか。

<われわれは「戦犯」と称される一連の戦争煽動者が登場したとき、拍手喝采をもって彼らを迎え、失脚したとき、人々にならってこれに唾をかけ、そして、今ではもうほとんど彼らのことを忘れている>

 これは1947年11月にある月刊誌に載った文章である。この頃、すでに世界は冷戦のなかに置かれていた。共産化された中国を大敵とみるアメリカにとって、日本人による残虐行為など大した問題ではなかった。再び、ジョン・ダワーを引こう。

<東京でA級裁判が終わるころ、世界は変わっていた。勝った連合国の「連合」は冷戦によって崩れ、東京の裁判官席に代表を出していた国々は、内戦やアジアのあちこちでの植民地戦争に明け暮れていた。そして、起訴されたもとの指導者たちは、日本の海外侵略は共産主義への恐れがひとつの動機だった、という主張を裁判で試みて糾弾されていた。しかしこの主張が押さえつけられているまさにそのとき、アメリカは、もっぱら共産主義の世界的封じ込めをめざす国家安全保障の体制作りに邁進していた>

 こうした風潮の中で、加害者としての日本人の行為は糾弾を免れ、東京裁判のあとは戦争指導者の戦争責任さえも免責されて、広島・長崎の被爆体験に象徴されるように、ただ戦争は悲惨だという犠牲者としての体験だけが平和を希求する人々の間に定着していくことになった。

<今日の一句> 木枯らしに 冬日さがせば 雲白し  裕


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