橋本裕の日記
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2002年12月17日(火) いはんや悪人をや

 田辺元は京都大学哲学科教授として、西田幾多郎と並ぶ碩学であり、日本の思想界や学生達に影響力のあるカリスマ哲学者だった。彼は謹厳実直で、けっしてつまらぬ冗談を口にすることもなく、物見遊山をすることもなく、世俗を超越した笑わぬ哲学者として有名だったという。ジョン・ダワーは「敗北を抱きしめて」の中でこう書いている。

<田辺は長年にわたって熱烈なナショナリストであり、その「非政治的」哲学理論が軍国主義者たちの民族的・国家中心主義的イデオロギーをじつに都合よく支えていた。厳しく鍛え上げられていた田辺が、そのとき思いもかけず、自分がばらばらに壊れていくことに気付いたのである。国は破滅と不名誉に直面し、自分の学生達の多くが戦死したことで、自身の責任、罪の深さを認めざるをえなかった>

 敗戦のときすでに彼の師・西田は亡き人となっていたが、田辺は生きながらえており、その惨状を目の当たりにすることになった。しかも彼は当時日本でもっとも権威がある哲学者だった。敗北した日本を代表する哲学者として、思想家として、彼は傷つき、血をながした。そしてこんな告白をした。

<心弱き私がなんら積極的に抵抗すること能わず、多かれ少なかれ時勢の風潮に支配されざるを得なかったのは、いかに深く自ら慚ずるもなお足らざる所である。遂に盲目なる軍国主義が幾多の卒業生在学生諸君を戦場に駆り立て、その中犠牲となって倒れた人が哲学だけでも十数名に上るのは、私にとって自責痛恨の極みである。私は頭を垂れてひたすら事故の罪を悔ゆる外ない>

 田辺はもともとカントやヘーゲルの哲学の専門家だった。ドイツに留学し、ハイデガーなどとともに学んでいる。「ヨーロッパ思想の田辺元」というのが、彼に対する世間の評価だった。しかし、南原繁や丸山真男など進歩的知識人が西洋の合理主義や民主主義に真理と正義を見出し、これに追随し、徹底しようとしたのに対し、田辺はこれに背を向けて、日本古来の仏教思想へと傾斜を深めていく。田辺は戦没学生の死を賛美したりしなかった。ただこれを悼み、自らの過ちを懺悔した。そして、悪人正機説を説く親鸞の絶対他力思想に自己と、日本国民、さらには世界人類の救済の道を見出そうとした。

<懺悔を必要とするのはたんに我国のみでないこと明白である。これらの国々も又それぞれに自らの矛盾過誤罪悪に対して正直に謙虚に懺悔を行じなければならぬ。懺悔は今日世界歴史の諸国民に課すところである>

 ジョン・ダワーは「勝った連合国が日本を、敗残文化、極悪非道な侵略国家と糾弾しているとき、田辺は日本の悪行と罪を認めながらも、それが他に類がないものではないと言明し、さらに、この国の伝統文化には提供すべきなにもないとする言説を退けた」と書いている。

 田辺は戦前も愛国主義者であったが、戦後も又、熱烈な愛国主義者であり続けた。カントやヘーゲルから親鸞へと、彼の関心は西欧の思想から日本的な伝統の世界へと沈潜し、そこに自己と日本の真実の再生の道を求めた。

 田辺はこうして絶望を克服して、これを解脱と法悦と歓喜に結びつける独特の弁証法的処世術を完成させた。そしてその後、多くの知的エピゴーネンたちがこれ幸いと、彼にならうようになった。こうして戦後の日本にふたたび親鸞ブームを巻き起こすことになった。

<今日の一句> 子等をみな 抱きしめたくて 冬日見る  裕


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