橋本裕の日記
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2002年12月10日(火) 白い箱を持った少女

 先の戦争で命を落とした日本人は270万人ほどだという。1941年の日本の人口は7400万人だから、3.6パーセントにあたる。つまり100人のうち3人から4人が戦争で命を落としたことになる。

 日本の侵略戦争によって命を落としたアジアの人々はどのくらいだろうか。さまざまな統計があってこれもはっきりしないが、およそ2500万人ほどではないかと考えられる。つまり日本人の死者の約10倍ものアジアの人々が、日本が引き起こした戦争で命を落としたわけだ。

 戦争当時、多くの日本人が戦闘員あるいは非戦闘員として外地にいた。その数は約650万人にのぼるという。つまり総人口の1割ほどの人々が海外に出かけ、そこで命を失うか終戦を迎えたことになる。幸運な人たちは数年のうちに引き上げてきたが、かなりの人数が抑留され、強制労働や戦争裁判で裁かれて死んだ人もかなりいる。

 外地から引き上げてくる人々の中には、白い箱を首から布で下げている人も多かった。その箱の中には戦争や引き上げの途中で死んだ家族・知人の遺骨が収められていた。1946年12月、満州から引き上げてきた人々の写真が新聞に掲載されたが、その中に白い箱を持った少女が写っていた。

「お父さんはどこでなくなったの」
「奉天」
「お母さんは」
「葫廬島(ころとう、中国東北地方の半島)」
「妹のサダ子ちゃんは?」
「佐世保」

 渡辺千鶴子というその少女が持っていた箱の中には、戒名が一つしか書いてなかったという。それがだれの戒名かわからず、遺骨もまた誰のものかわからないが、おそらく父と母と妹の三人が混じっているのではないかとインタビューした記者は推測している。

 しかしこのように家族・知人の誰かが生き残った場合はよいが、中には全員が死亡した場合も多かったようだ。1946年8月1日、浦賀に入港した引揚げ船・氷川丸には行き先が特定されていない遺骨の箱が7000箱積まれていたという。

(参考文献) 「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー著、岩波書店)

<今日の一句> さわやかな 野菊のごとし 亡き人は  裕


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