橋本裕の日記
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先日、「独立自尊」が大切だということを書いた。しかし、これだけでは十分ではない。もう一つ、大切な心がある。それは「共感する心」である。相手の立場に立って、理解し共感する心がなければ、人は本当の意味で幸せな人生を送ることが出来ない。
智というのは基本的に「分かる」ということ、つまり「分ける」という分析的な働きが主である。これに対して、愛は「合い」であり、「合わせる」という総合的な働きが中心になる。G・シュビングは「精神病者の魂への道」のなかで、母なるものについてこう述べている。
<母なるものの本質は、相手の身になって感じる能力、他の人の必要とするものを直感的に把握すること、そしていつでも準備して控えていることである>
独立自尊が父性的な「智の原理」だとしたら、共感する心は母性的な「愛の原理」だということができる。あるいは独立自尊がある意味で競争的な原理だとしたら、共感する心は共生的な原理である。仏教でいう小乗と大乗の違いだとも言えよう。
しかし実のところ、愛というのはそれほどむつかしい理屈ではない。それは簡単に言えば、他者と共に生きること、そして共感しあうことである。そうした他者受容的な生き方が友を作り、愛を育てるのだろう。人生に必要なのは、このような「共に生きよう」とする姿勢である。加藤諦三は「気が軽くなる生き方」(三笠書房)のなかで、次のように述べている。
<われわれは自分を他人によく見せるために、お金も必要でなければ名声も必要ではない。ことさら並外れた良心も必要でなければ、献身も必要ではない。・・・他人によく思われようと、いかにも同情心があるように振る舞う人もいる。みな勘違いである>
<要するに「共に生きよう」とする姿勢がありさえすれば、それだけで他人によく思われるものである。他人に自分をよく見せようとする人は、偉くならなければとか、美人でなければとか思うが、肝心の「共に生きよう」という姿勢がないのである>
このように他人と共に生きる心が大切だが、同時に、私は独立自尊の心も大切にしたいと思っている。なぜなら、私たちが他者と実り豊かな共生体験を創り出すためには、自分自身が精神的に自立していたほうがよいからだ。受容から自立へ、さらには自立から受容へ、という心の成長があって、人は他人や自分に対して、ほんとうに優しくなれるのだろう。
<今日の一句> 雨にぬれ 紅葉も落ちて 枯葉かな 裕
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