橋本裕の日記
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妻とはテニススクールで知り合って、一年ほど付き合って結婚した。もちろん恋愛結婚である。現在執筆中の「結婚まで」にはいずれその経緯を描くつもりだが、当面妻は登場しない。S子やK子、その他の女性との関係が中心になる。
これからA子、B子、C子、D子と次々と若い女が登場する。実は私は結婚するまでに随分多くの女性たちと関わりを持った。どうしてそんなことになったのかというと、私が次々と「お見合い」をしたからである。
S子と肉体の関係を持ちながら、ほとんど結婚の意志もないのに、新たな女性を物色するようにお見合いを繰り返し、常に複数の女性たちと交際を続けていたわけで、ずいぶんふしだらでいい加減な人間だった。この頃の私はいささか精神のバランスを崩していたのではないかと思われる。
お見合いの多くは、福井の母が勧めてくれたものだった。私が教員になると、母は私の次の目標は結婚だと思ったのだろう。母のそんなそぶりを見て、母の友人達が次々に見合い話を持ってきた。母は断りきれなくなって、とにかく私に見合いをしなさいという。休日に福井に帰省すると、午前中と午後で二人もお見合いが入っていたことがあった。
これは何かの手違いでそういうことになったのだが、午前中の相手とレストランで食事をしながら、母も私も午後のお見合いのことが気になって落ち着かない。二人して何度も腕時計を見るので、相手の女性は気分を害したようだった。 「何かご予定でもおありなのですか」と聞かれて、 「ええちょっと、昼から人と逢う約束があるのです」と答えた。
その瞬間、相手の女性が不愉快を顔に現したのを覚えている。美人だったが、気の強そうな女性だった。「午後にもう一つお見合いがあるのです。そろそろそちらに移動しなければならないのです」などと言ったら、水をぶっかけられていたかもしれない。この女性にはその日のうちに電話で断られた。
午後からお見合いをした女性は私を気に入ってくれて、その後福井でデートをし、名古屋にも会いに来てくれた。気だてのよいやさしい女性だったが、最後は私の方から断ることになった。S子との関係が泥沼状態になり、私の精神状態もおかしくなっていた。
私と関係を持った女性はいずれもいっとき甘い夢を見た後、私に突き放されて、最後は辛い思いを噛みしめなかければならなかった。中には家出をして、しばらく行方不明になった女性もいた。S子自身、最後は精神病院に収容され、自殺未遂を繰り返すことになるのだが、それは私が妻と結婚してからしばらくしてからのことである。
こうした自分の半生を振り返ってみると、私という人間はずいぶん非情・冷酷で、破れかぶれの我が儘な人間であったように思うのである。こうした人間だということを知りながら私と結婚し、結果的には私の窮地を救ってくれた妻には、ほんとうに感謝している。私は妻のおかげで、いささかまともな人間になれたようなものかもしれない。
<今日の一句> 妻と歩む 人生もまた 秋景色 裕
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