橋本裕の日記
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2002年11月24日(日) 万葉の旅

 昨日、今日と一泊二日で紀伊半島を旅した。インターネットで知り合った仲間もまじえ、6人ででかけた。運転手はいつものように徳さん。大きな車なので、長旅でもあまり疲れない。車中で歓談ができて楽しかったが、運転手は大変だっただろう。感謝しています。

「万葉の旅」は今年で3回目だ。最初の年は奈良で一泊した。山辺の道を歩いたり、法隆寺へ行った。奈良市の旧志賀直哉邸も訪れた。そして去年は京都で一泊。琵琶湖湖畔へも足を伸ばし、寺寺の仏や観音さまを拝んだ。今年は最初、北陸の旅を予定していたが、例年にない寒さで積雪が心配されたので、急遽変更になった。

 白浜に着いた頃、ちょうど夕暮れで、海岸から海に夕日が沈むのが眺められた。民宿の料理も最高で、温泉の露天風呂もよかった。南方熊楠記念館を訪れ、彼の業績をしのんだり、熊野古道にある美術館へも足を伸ばした。海あり山ありで、紅葉にお季節でもあり、南紀の豊かな自然を満喫した。

「万葉の旅」なので、ゆかりの万葉集の歌を上げておこう。まずは、私の好きな柿本人麻呂の浜木綿の歌一首である。

 み熊野の浦の浜木綿百重なす
 心は思へどただに逢はぬかも (巻4−496)

 一種の意味は、「熊野の浦の浜木綿の葉が幾重にも重なっているように、幾重にも幾重にも百重にもあなたのことを思っていますが、直接には会えないことだ」ということである。実際に海岸の近くに浜木綿が幾重にも葉を繁らせていた。この歌を口ずさみながら、古人の切ない思いに心を馳せた。

 さて、斉明3年(658年)10月、斉明女帝は皇太子中大兄を伴って紀国行幸に発った。飛鳥に留まった19歳の有間皇子は、蘇我赤兄に唆されて謀反を語り合うが、裏切られ捉えられ、紀の湯に連行された。11月11日、藤白坂(和歌山県海南市内海町藤白)で絞首刑に処せられる。万葉集二巻には、護送の途中、岩代(和歌山県日高郡南部町)で有間皇子が自ら傷んで詠んだ辞世の歌二首がのっている。

 磐代の浜松が枝を引き結び
 ま幸さきくあらばまた還り見む (巻2-141)

 家にあれば笥に盛る飯いひを草枕
 旅にしあれば椎の葉に盛る (巻2-142)

 岩代は車に載ったまま通り過ぎただけだった。万葉の旅としてはいささか内容が乏しかったが、その分、宿でカラオケを楽しんだり、市場を訪れたりと、愉快な旅ができて、おおいに満足した。東京や奈良に住んでいる仲間3人とも久しぶりに会えてよかった。また、来年も是非、一緒に行きたいものだと思っている。

<今日の一句> 熊野路に 秋のゆたかさ 訪ねけり  裕


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