橋本裕の日記
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2002年11月20日(水) パンパン娘

 婦女の貞操と純潔を守り、国体護持に挺身せんがために、敗戦とともに創られた進駐軍向けの慰安施設はかなり繁盛したらしいが、わずか数ヶ月後には閉鎖されることになった。その理由は、占領当局によると、この制度が非民主的で、婦人の人権を侵害するものだということだった。

 しかし本当の理由は、性病の蔓延だったらしい。わずか数ヶ月間で、施設の女性の90パーセントが性病検査で陽性になった。占領軍のある部隊では、兵員の70パーセントが梅毒、50パーセントが淋毒に感染していた。

 貧乏くじを引いたのは、お国のために奉仕した女性たちだろう。彼女たちは解雇されることになったが、退職金ももらえなかった。もらったのは性病と、「お国のために挺身した」という誉め言葉だけだったからだ。

 そもそも「純潔を守るため」とはいえ、国が率先して慰安施設をもうけたこと自体、米軍にたいする過剰待遇だといえないことはない。日本政府は日本軍の実態を知っていたので、恐怖に駆られたのだろうか。その結果が性病の蔓延だったのだから、米軍もありがた迷惑だった。

 とはいえ、占領軍兵士の性欲処理はやはり緊急の課題だった。日本政府は総司令部の公的売春禁止の措置を受けて、特定の地域で私的売春を認める措置を講じた。これがいわゆる「赤線」地帯である。赤線というのは警察当局が地図の上に赤い線を引いたことからきた言葉らしい。やがて7万人もの女性が売春婦としてこの赤線地帯で働くことになった。

 派手な口紅、マニキュア、小粋な服装の彼女たちはやがて「パンパン」と呼ばれるようになった。パンパンというのは、戦争中、南洋でアメリカ人が現地語をまねたのが始まりで、手に入る女性という意味の、異国情緒やエロティシズムを感じさせる言葉だったらしい。これが日本社会でも市民権を得て、当時の風俗を象徴する言葉として定着することになった。

 ある調査によると、パンパンの多くは戦争孤児であるか、父親がいなかったという。アメリカ兵相手の売春は当時の女性の仕事としては非常に収入がよかった。貧乏や飢餓が一般的であった戦後の混乱期において、派手な浪費に走る彼女たちの姿は時には顰蹙の対象ともなった。しかしある調査によると、彼女たちの多くは長女であり、両親と兄弟の生活に強い責任を感じていたということである。

 ところでこのような日本女性を持つ日本の姿が、征服者であるアメリカ人にどのように写っていたか、「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー著)から引用しておこう。

<昨日まで危険で男性的な敵であった日本は、一度のまばたきのうちに、白人の征服者が思い通りにできる素直で女性的な肉体の持ち主に変貌した。そして、同時に、売春によるものもそうでないものも、占領軍兵士と日本女性の稠密な関係は、ときには人種を超えた思いやりや、お互いへの敬意や、さらには愛情の出発点にさえなった。そいうい意味で、国家同士の関係が男女の関係に変換されて表現されていたのである。かかわり方はどうであれ、そこにいたすべての者にとって、占領軍と日本女性の関係は驚くほど感覚的で、かつ文化的な出来事だった>

<今日の一句> 雁渡る 空の青さを 眺めけり  裕


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