橋本裕の日記
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戦争に負けて、一時「一億総懺悔」という言葉がはやった。この言葉を最初に使ったのは、ポツダム宣言を受けて鈴木内閣が総辞職したあと、敗戦処理のために登場した皇族の東久邇首相だった。
その意味は、「私たち臣民の努力が足りなかったので、戦争に負けた。天皇陛下に耐え難いご心痛をかけてしまった。ここのことを国民すべてが懺悔しなければならない」という意味である。
この言葉によって、軍部や政府の戦争責任は、ひとまず国民全体に転嫁された。もちろん天皇の戦争責任など論外である。天皇は戦争の犠牲者であり、最後は耐え難きをしのんで、国民のために「英断」を下されてのだった。
しかし進駐軍がやってきて東京裁判が始まると、この言葉は力を失った。旧軍人や政府の実態が次々と明らかになったからである。戦争に負けたのは、彼等が無能だったからだ。そもそも彼等が国民に軍国主義を強要したのであり、国民は戦争の犠牲者ではないのか。
こうして戦争責任は東条英機を中心とする一部の「軍国主義者」たちに押しつけられた。こうして国民は自らを「無能力だった」という理由で戦争当事者の外に置いてしまった。そしておどろくべきことだが、天皇さえも自分たちの仲間に入れてしまったのである。
天皇はもともと平和愛好家で戦争には反対だったが、軍部の圧力のもとでロボットにされていたというのである。この論理は、多くの国民が自分の戦争責任を逃れるために使った理屈とおなじものだった。折しも天皇の巡幸がはじまり、人間宣言があって、もはや天皇は雲の上の現人神ではなくなった。こうして国民と天皇に戦争の犠牲者という連帯感が演出され、新しい憲法の中で、天皇は国民の統合の象徴として生き残った。
以上が、敗戦から今日に至る、この国のおおよその流れである。天皇にとっても、多くの国民にとっても、これ以上の理想的なシナリオは考えられない。貧乏くじを引いたのは、誰だろう。それは戦死した数百万の国民であり、戦争指導者として処刑された一握りの政治家と軍人だろう。
このことを国民はうすうす感じている。だから私たちは彼等を靖国神社に祭って、軍神とあがめ、手厚く供養しているのだ。さて、ここまで書いてきて、やっと思い出した。一番貧乏くじを引いた、何千万という他国の戦争犠牲者のことをである。
(参考文献) 「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー著 岩波書店)
<今日の一句> 虫の声 絶えてしづかな 月の夜 裕
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