橋本裕の日記
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2002年11月10日(日) 愛するということ

 人生はなるべく軽く、さわやかに生きていきたいものだ。富や地位などには執着せず、行雲流水のような心境で生きて行けたら最高だろう。しかし人間はそういつも聖人君子ではいられない。

 地位も欲しいし、お金も欲しい。権力にもあこがれる。髪の毛が薄くなれば、これでもう背広は似合わないかも知れないと悲観するし、きれいな女性をみれば腕をとってデートをして、その唇からキスを盗んでみたいものだとなどと考える。

 私も妻とはしょっちゅう喧嘩をするし、時には何日も口を利かないことさえある。馬鹿な意地を張ってどうすると思いながら、自分ではどうすることもできない。歳とともに枯れて、人間ができてくるかと期待したが、どうもそうでもないらしい。むしろ短気になって、何でもないことに怒りがおさまらないことがある。

 しかし、歳をとってよかったなと思うこともある。それはそうしたさまざまな自分の欠点を、いくらか諦観とともに受け入れることができるようになったことだ。親鸞のいう「煩悩具足」ということが胸に響くようになった。そしてこのように欠点の多い、どうしようもない自分でさえ愛おしくなってきた。

 そうすると、どうしたことだろう。他人も又、しみじみと愛おしくなるのである。他人の欠点が、そのまま自分の欠点にかさなり、ああ、人も我も同じだなという気持になる。そして、みんなそれぞれに辛い自分を抱え、健気に、この人生を生きていく同類なのだという憐れみと同情がわいてくる。

  おちついて死ねそうな草萠ゆる
  食べることの真実みんな食べている
  酔うてこほろぎと寝ていたよ
  いつのまにやら月は落ちてる闇がしみじみ
  笠へ落ち葉の秋が来た
  
 そうしたなかで、私は山頭火の句も次第に好きになってきた。彼の日記や俳句には彼の人間がよくあらわれている。酒に溺れ、女色に溺れ、汚辱と絶望のあげく自殺を考え、実際に睡眠薬を飲む。電車を止め、留置所に放り込まれたこともある。ほんとうにどうしようもない人間だ。

 しかし、醜く無様な山頭火は実は自分自身のなかにも棲んでいる。そのような彼を受け入れることで、私は自分を受け入れ、自分自身を愛している。そして、それはまた、他者を愛することにもつながる。人を愛するということは、そのように奥の深い、涙ぐましいことなのだ。それはこの地上にあって、唯一崇高なことのように思われる。

<今日の一句> 寒空に 人のこころの あたたかさ  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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