橋本裕の日記
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先の15年戦争について、これは西洋列強からアジアを解放するための聖戦だったという人がいる。しかし、これは幻想であって、実態は侵略戦争以外の何者でもなかった。次のようなたとえ話にすれば、分かりやすいのではないかと思う。
<いま、わが家の隣りに、Cというかなりの大きな財産家の家があり、しかも警備が手薄で内部がごたごたしている。そこで、いまがチャンスと、一族郎党をつれて強盗にでかけた。ところが、思った以上に手強く反抗してくる。どうやら、蔭でA家が加勢しているらしい。そこで、A家にもなぐり込みをかけた。そうしたら、A家が本気になって怒って、わが家に攻めてきた。そしてとうとうA家の強者たちに、わが家を占領されてしまった>
先の戦争のさなか、こうしたリアルな認識を持っていた人はほとんどいなかっただろう。戦争中、ほとんどの人はリアリストであるより、愛国的な空想家であり、自己陶酔的な幻想家でしかなかった。参戦した学徒の手記など見ても、大方はそうである。
しかし、中には、冷静な目で戦争を見ていた人もいた。45年4月、24歳で戦死した出陣学徒の宅嶋徳光さんが残した手記「くちなしの花」からの一部を紹介しよう。
「私は私自身を考える前に国家を考えることはできない。それほど純情家でも愛国者でもないからだ。」
「日本ほど安価な感傷主義者の多い国はないだろう。それはまた、為政者にとって好都合でもあるが、愛国故に自己を犠牲にしても惜しまぬという愚衆の考え方は、一種の自己陶酔のマニアとしか思われない」
「私は生れる時代を誤った。私のもつすべての主義、傾向は今全く排除されんとしている」
「俺はどのような社会も、人意を以て動かすことのできる、流動体として考えてきた。しかし、そうではなさそうである。ことにこの国では、社会の変化は、むしろ、宿命観によって支配されている、不自由な制約の下にあるらしい。俺も----平凡な大衆の一人たる俺も、当然その制約下に従わなければならない」
こういう醒めた知性を持ちながら、戦士として生き、死んでいかねばならないのは、ほんとうに悔しいことだったに違いない。自分を「強盗団の一味」であると、そういう風に自分を客観視する目を、この青年ならあと少しで持てたかもしれない。
<今日の一句> 御岳も 真白くなりぬ 冬近し 裕
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