橋本裕の日記
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2002年11月03日(日) 国民体育大会の歴史

 昨日の日記に国体開催県がいつも総合優勝(天皇杯)を獲得するのが不思議であると書いた。北さんによると、これは巧妙な天皇制護持システムの一環らしい。そこで、もう少し、その歴史を調べてみよう。

 1回国民体育大会が開催されたのは、終戦の翌年の1946年である。開催地は非戦災地の京阪神地区だった。集団行進や国旗の掲揚、国歌の演奏はなかったという。当然のことだろう。もちろん天皇や皇族が式典に参加することもなかった。

 ところが翌1947年の第2回石川大会の秋季大会開会式には天皇が出席した。禁制の国旗掲揚も申請の許可を待たずに決行された。そして、これを皮切りに、11月3日(明治節)には宮内府屋上に日の丸が復活・掲揚された。
 
「あの金沢グランドの開会式のさい天皇陛下御臨席のもと戦後はじめて、大日章旗と国体の聖炎旗とが晴れ渡った秋空にはためくのを見て、君が代の合唱が六万大衆の口から期せずして起こるのを聞いたとき思わずほおをつたう熱涙をとどめ得なかった」(浅井愛知体育協会会長『中部日本新聞』1950年10月23日)

 1948年、第3回福岡大会からは、それまでの個人参加方式が改められ、都道府県対抗方式となった。高松宮が開会式に出席し「おことば」を述べられた。占領軍が「日の丸・君が代」を公式許可した。そして、この大会から、天皇杯・皇后杯が下賜された。

 天皇・皇后がそろって開会式に臨み、天皇が「お言葉」を述べるようになったのは、1950年第5回愛知大会からである。主催団体に文部省が加わり、感激した天野貞祐文部大臣は、「われら、兄弟姉妹よ、国歌を高らかにうたい、国旗を掲げる。なんたる感激ぞや」と演説した。(『国体の歩み』)。

 日本の7不思議の最たるものは、私は「天皇制」だと思っている。なぜ「天皇は戦犯にならないのか」「A級戦犯で戦争犯罪人の軍人達がなぜ、靖国神社に祭られ、英霊とよばれているのか」などなど、「天皇制」にまつわる不思議は数限りなくあるが、国体の不思議もたしかにその一つだと言えそうだ。

(参考サイト) http://www.spicenet.org/siryou5.htm

<今日の一句> すめらぎの 不思議の国の 秋たけぬ  裕


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