橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2002年10月30日(水) 豊かで美しい自然

紅葉の山を歩きながら考えたことは、自然は美しいハーモニーだということだった。ことに秋のこの季節、自然はその多様な豊かさを私たちに実感させてくれる。色づいた木の葉も赤や黄色、橙とさまざまであり、路傍の雑草もまたそれぞれがそれぞれの美しさで私の目を楽しませてくれた。

 自然が豊かであるということは、町の郊外の野原や河原を歩いたくらいではなかなか実感されない。そこで感じられるのは、むしろお互いに勢力を競い合う植物たちの殺伐とした印象である。たとえばセイダカアワダチソウという外来種が我が物顔にのさばっている。ススキがあるかと思えば、これも外来種らしい。それらが争い、強者が生き残り、他を圧倒する姿があちこちに見られる。

 他を駆逐し、ある特定の種が我が物顔に群生する姿は、ある意味で力強さ
が漲っていて簡明かもしれない。西洋の風景はしばしばこのような専制的な単調さに支配されている。どうしてこのようなことになるのか。それは風土が厳しいからである。あるいは人工的に矯正されているからである。あるいは開発によって、従来そこにあった生態系が破壊されたからである。

 これに対して、奥深い山の中の自然は、まるで様相が違っている。そこには様々な種類の樹木が平和共存して混じり合い、樹木の下にはシダ植物がしげり、苔やキノコがつつましく自生している。そこここに雑草が茂り、さまざまな彩りの花が咲き、そして果実や木の実が木洩れ日の中に顔を覗かせている。山の中に身を置き、しずかにこれらの様子を眺めているだけで、なにかしら心にしみこむような温かいものを感じる。

<私自身の折りにふれての経験によると、たとい気の毒な人間嫌いや、ひどい憂鬱症にかかった者でも、このうえなくやさしい、けがれのない、心の励みになる交際相手は、自然界の事物のなかに発見できるものである。「自然」のまっただなかで暮らし、自分の五感をしっかりと失わないでいる人間は、ひどく暗い憂鬱症にとりつかれることなどあり得ない。四季を友として生きるかぎり、私はなにがあろうと人生を重荷と感じることはないだろう>

<太陽のぬくもりがしみじみとありがたく感じられる秋晴れの一日、こうした小高い丘の上の切り株に腰かけて湖を見下ろしながら、水面に映る空や木々のあいだに次々と波紋が刻まれているのを観察するのは、心の休まるひとときである。・・・ありとあらゆる木の葉や小枝、石ころやクモの巣が、いまこのまっ昼間、あたかも春の朝露にぬれそぼったように光り輝いているではないか。オールや昆虫の動きのいっさいが、まばゆいまでにきらめいているではないか。しかもオールが水に落ちるとき、なんという美しいこだまが返ってくることか>

 ソローの「森の生活」の一節である。森は人間を自由にする。なぜなら、森の中の生き物の姿を見れば、人間はもはや生存競争が人生の真理であるということを信じなくなるからだ。この愚かしい迷信から解放され、人間を本当にしあわせにする思想を手を入れようと思ったら、森を歩き、そしてそのゆたかな生命の息吹を心ゆくまで呼吸すればよい。

<今日の一句> 山ふかき 渓流たどり 草紅葉  裕


橋本裕 |MAILHomePage

My追加