橋本裕の日記
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2002年10月14日(月) 結婚まで

21.青春の蹉跌

 駅前通りに、行きつけのレストランがあった。私は日曜日など、ときどきそこで食事をしていた。レストランと言っても、喫茶店を大きくしたようなもので、そう高価な料理があるわけでない。

 S子をそこに誘った。アパートに帰り、一風呂浴びてから出直したかったが、できることならS子をアパートに上げたくはなかった。食事をして、おとなしく家に帰ってくれればありがたかった。

 表通りの窓からなるべく離れた席に腰を下ろした。おしぼりで顔を拭い、私はカレーライスを注文した。S子はその間、黙って私を見ていた。
「どうしたんだ。何か注文したら」
「最近食欲がないの」
「そうか。それじゃ、僕だけいただくよ」
 私はグラスの水を鷲掴みにして、喉に流し込んだ。

 なるべくS子に冷淡にすること、それが当面の私の作戦だった。S子の私に対する気持を冷却させ、愛想を尽かせることができればよいと思った。もちろんこの作戦を成功させるために、あせりは禁物だった。急に冷たくすれば、S子は何をするかわからなかった。

 4月にS子がアパートに押し掛けてきたあと、何度かS子から電話があったが、私は部活動の多忙を理由に会うことを避けていた。そうするとS子は一冊の本を小包で送りつけてきた。それは石川達三の「青春の蹉跌」という本だった。

 大学生の主人公は貧乏な法学部の学生で、かっては学生運動の経験もあった。いまは家庭教師のアルバイトをするかたわら司法試験を目差していたが、家庭教師をしていた少女と肉体関係をもってしまう。

 一方で伯父のひとり娘に愛をよせ、司法試験に合格と同時に縁談も決まり、バラ色の将来が見てきたとき、かって家庭教師をしていた少女の妊娠を知らされる。青年は自分の社会的成功のため、少女を殺害しようと考え始める・・・。

 その不愉快な小説を、私は終いまで読まずに、ゴミ箱の中に投げ捨てた。S子が小説の主人公に私を重ねていることは事実だった。状況はよく似ている。S子が妊娠でもしたら、おあつらえ向きということになりそうだが、私はもちろんそのような失敗はしていない筈だった。

 それでも、万が一と言うことがある。私は不安に駆られて、何度となくS子の腹のあたりを眺めていた。S子もその視線に気付いていたのか、
「心配でしょう。さんざんひどいことしたものね」
「ひどいことって、何だい」
「ここで言ってもいいの?」

 私はカレーライスを口に運ぶのを止めて、S子の顔を見つめ、それからあたりを見回した。10人近い客が入っていた。その客や、カウンターで待機しているウエイトレスの視線が気になった。S子の尖った様子から、普通の恋人同士ではないことが、すぐにわかりそうだった。

<今日の一句> 上着脱ぎ 妻と登れば 秋の風  裕

 登ったのは山ではない。木曽川河畔に立つ一宮タワーである。年に2回ほど、100メートルの高さにある展望台まで、階段を使って登るイベントがある。昨日の日曜日、私たち夫婦はそれに挑戦した。階段から下界が見える。私は途中で上着を脱ぎ、途中の踊り場で何度か休憩をとって、汗ばんだ体を爽やかな風にあてながら、どうにか展望台にたどり着いた。そこにある喫茶店で、秋晴れの濃尾平野を展望しながら、アイスコーヒーを飲んだ。下りはエレベーターを使うこともできたが、私たちはせっかくなので、再び階段を使った。降りてからコスモス畑へ行って、タワーの写真を撮った。 


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