橋本裕の日記
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| 2002年10月09日(水) |
サンフランシスコ悲話 |
サンフランシスコといえば、アメリカの西海岸を代表する国際都市である。観光の名所も数多くあり、日本人観光客にも評判が高い。ぜひ一度は訪れてみたい都市の一つである。今日はこのサンフランシスコにまつわる、ちょっっと怖い実話を紹介しよう。
1834年、一人のドイツ人が妻子を大陸に残したままニューヨークに移民として渡ってきた。彼の名前は、ヨーハン・アウグスト・ズーターで、当時31歳だった。彼はニューヨークでしばらく働いたあと、未開の地だったカルフォルニアに移住する。
彼はそこで精力的に働いた。荒れ地に井戸を掘り、土地を耕し、懸命に働いて、やがて数千頭の家畜を持つ農場経営者になる。そしてついにドイツに残してきた妻子を呼び寄せた。アメリカンドリームの見事な達成である。
ところが、1848年のことだ。ズーターの農園で働いていた大工が砂金を発見した。そうすると、彼の農園で働いていた男達はすっかり舞い上がり、仕事をほったらかして砂金さがしに熱中し始めた。そればかりではない、この話はあっというまに広がって、アメリカ各地から人々が殺到しはじめた。つまりゴールドラッシュの始まりである。
彼等はズーターの育てた乳牛を殺して食い、穀物倉庫を壊して自分たちの家を建てた。土地は踏み荒らされ、機械も盗まれたり壊されたりして、農場はすっかり無法者達の住みかとなった。そしてたちまちそこに町ができた。その名を人はサンフランシスコと呼んだ。
こうした無法行為にたいして、1850年にズーターは裁判所に訴え出た。「サンフランシスコ市がその上に立てられている土地の全部は自分の土地である」と所有権を主張し、1万7220人の立ち退きと、カルフォルニア政府に対して2500万ドルの賠償金を要求した。
ズーターは裁判に勝ち、彼の裁判所は彼の要求をすべて認める判決を下した。さてこれで一件落着、賠償金を得てズーターは億万長者になれるはずだったが、そうはならなかった。判決を聞いたサンフランシスコの住民が暴動を起こして、裁判所と彼の家を襲い、これを焼き討ちにしたのだ。
この暴動によって、次男は殺され、長男はピストルで自殺、ズーター自身はどうにか生き延びるが、家族と財産を失った彼は精神を病んでしまう。ワシントンの政府に訴え出たが、ワシントンの人々は誰も彼を相手しなかった。1880年に彼はワシントンにある連邦議事堂の前で脳卒中で死ぬ。嘲笑され、無視されたあげくの失意の死だった。
こんな話を聞くと、サンフランシスコに行くのが怖くなる。ズーター一家の恐ろしい呪いがかかっていそうだ。サンフランシスコの摩天楼まで不気味に見えてくる。考えてみると、もともとアメリカにはインデアンが住んでいた。そしてアフリカでの奴隷刈りなど、民主主義と自由の国アメリカにも、こうした陰惨な影の歴史がある。
(20世紀を代表する伝記作家シュティファン・ツヴァイクの「人類の星の時間」(みすず書房)に収められている実話だという。この話を私は小室直樹さんの「痛快憲法学」(講談社)で知った)
<今日の一句> 新米を 我先に食ふ 雀かな 裕
黄金色に稲の穂が熟れている。その田圃に雀達が集まっている。一説によれば秋という言葉は「飽きる」ほど食うという意味だそうである。田圃の新米にありつけた雀達は、妻の与える古米には見向きもしなくなった。
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