橋本裕の日記
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前483年、ギリシャのラウリオン銀山で大鉱脈が発見された。これはアテネ市民に思わぬ臨時収入を与えることになった。思わぬ富の分配にあずかろうと、市民は色めき立った。ところがテミストクレスという男が、余剰金を市民に配ることに反対した。
彼はペルシャの脅威にそなえて、これで100隻の軍船を建造すべきだと主張した。多くの市民は彼のこの提案に反対したが、最後は彼の説得に応じた。そしてこの100隻の軍艦がギリシャの運命を変えた。アテネの補強された海軍力が、ペルシャの大艦隊を破り、ギリシャの独立と平和に貢献した。そしてアテネはギリシャ世界の盟主としての地位と繁栄を築いた。
歴史家はもしこのとき、アテネ市民がテミストクレスの言葉に耳を傾けず、慣例に従って富の分配を受けていたら、ペルシャ戦争の勝利はなかっただろうと説いている。ペルシャに破れていたら、パルテノン神殿やプラトンの哲学をはじめ、数々の芸術作品、つまり今日我々が目にするギリシャ古典文化は残らなかった。その後の世界の歴史は別のものになっていたに違いない。
これは目先の利益に囚われるべきではないという歴史の教訓として、よく引き合いに出される話だが、「政治とは何か」を考える上でも参考になる。政治とは「共同体の自己決定」である。アテネ市民は当面の利益を捨てて、将来の利益を考え、軍艦を作るという自己決定をした。そしてこの自己決定に指導的役割を果たしたのがテミストクレスという聡明な市民だった。
しかし、アテネのこの成功を、ひとりテミストクレスの功績にするわけにはいかない。そこにはテミストクレスの言論に耳を傾け、これを是とする市民たちの成熟した政治意識があった。一人一人の市民が政治に参加し、民会において自らの社会の進むべき方向性を議論し、具体的な選択をするという民主的なシステムが機能していたのである。
自由とは市民一人一人が自らの運命に対する自己決定権をもつことであるが、このことは国の主権についても言える。国の自由とは、国が自らの進路に対して自己決定権をもつことである。そしてこの国の自己決定を、国民の総意のもとでおこなおうとするのが、いわゆる民主的国家というものである。
現在の日本にこうした自己決定力があるのだろうか。個人レベルでも、共同体レベルでも、日本人は自己決定ということが苦手なのではないかと思われる。しかし、これではいつまでたっても社会はよくならない。自由とは自己決定であるということ、そして個人の自由があって、国の自由があるのだということ。このことを銘記したいものだ。
<今日の一句> 並木道 風に吹かれて 秋の蝶 裕
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