橋本裕の日記
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2002年10月04日(金) 教育の目標は何か

 イギリスに長年住んでいた人の話によると、イギリスでは、小学校に入学すると、ある一つの言葉を繰り返し教えられるのだという。そしてその言葉というのは、「勉強をする目的は、政治に参加できるようになることである」ということだという。(先日放送されたNHKのラジオ番組による)

 いかにも民主主義を最初に実現した国らしく、教育の理念がはっきりしている。人々が幸福に暮らすためには、何よりも国の政治がしっかりしていなければならない。君主や独裁者、軍人や官僚の横暴から自由であるためには、国民一人一人が政治に参加する主権者としての自覚と能力がなければならない。そしてそのような政治意識に目覚めた個人を養成することが公教育の本来の目標と考えられているわけである。

 こうした自治意識を持ったよき市民になるための教育は、残念ながら日本ではほとんど顧みられていない。このことは、学生に「勉強する目的」を訊いてみればわかる。「良い大学に入り、いい会社に就職するため」という利己的であまり視野の広くない答えが返ってくるだろう。「政治に参加できるようになるため」という答えは、ほとんどないのではなかろうか。それは、もとよりそのような教育がなされていないからだ。

 教師や親もこうした意識を持っている人は少ない。円周率の計算や分数の計算ができなくなったと言って大騒ぎするが、もっと憂えるべきことがある。それは生徒が一人一人自分の頭で主体的に物事を判断する能力が、過去においても現在のおいても等閑視されて、ほとんど訓練されていないということである。

 身の回りの問題について、自分の意見を持ち、これを自分の言葉で表現できること。異なった人々の意見に耳を傾け、自分に対しても他人に対すると同じように公平で客観的な批判的精神を持つこと。このような自由で平等な対話精神や自立的な思考力は、個人が政治に参加し民主的に社会を営むための大切な要素である。

 教育の目標は何かと訊かれれば、私は「個人の幸福を実現するため」だと答えてきた。この教育観は、「政治に参加するため」というイギリス流とはまるでちがっているように見えて、それほど遠く離れてはいない。個人の幸福は民主的で個性的な生き方が尊ばれる社会の中で実現される。個人の幸福を実現することと、そうした自由で平等な社会を創り出す活動に参加することは、本来一つのものの裏と表である。

 大学受験の勝者になるためのカリキュラムが優先され、反社会的なエゴイズムが横行する日本の閉ざされた学歴社会では、こうした本当の意味で個人的・社会的な視野に立った教育の理念は育ちようがない。今後、市民の政治参加を重視し、そのために必要な社会的能力の修得を教育の目標だと考える人々が増えてくれば、日本人一人一人の未来も明るくなるだろう。
 
<今日の一句> なにゆえに 暑さかえりぬ 衣替え  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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