橋本裕の日記
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2002年10月03日(木) 「自分」を創作する

 昨日の「自己推薦文サンプル」について、北さんがこんなアドバイスをしてくれた。なるほどと思ったので、ここに引用させていただく。

  ーーーーーーーー  「自分」を創作させましょう ーーーーーーーー

 強い動機があって志望しているわけでもない者に「志望の動機」が書けないのはあたりまえ。推薦できるような自分を持っていない者に「自己推薦文」が書けないのはあたりまえ。

 橋本さんの虚しい努力、私も何度となく経験していますのでよく分かります。
「動機があるかのように」「自分があるかのように」創作させればいいと思っています。

 マニュアル社会です。私なんか、書けない生徒には、割り切ってどんどんサンプルを示します。小論文指導なんか、様々な「模範解答文」を読ませて、それをマネさせることから始めます。

 このサンプルは、ただ誠実、前向きなだけで、その人の何の特長も感じられない文章だと思います。

「自己推薦文」なら、自分の持っている他人にはない特長を、もっとバーンと出すべきだと思いますね。その生徒にかすかにうかがえる「特長らしきもの」を見付けてあげて、それを拡大して、書いてあげるしかないでしょう。
もっといろいろなサンプル文を用意されてはどうですか。

  ーーーーーーーーーーーー 引用終わり ーーーーーーーーーーーーー

「自分のいいところを思い切り書いてごらん」というと、多くの生徒は「なんにもない」という答えが返ってくる。「そんなことはないだろう」と重ねて言うと、
「だったら、先生、私の良いところ教えて」という。自信を喪失しているのだ。そんな生徒の自信を回復させてやるために、教師は日頃から生徒のよいところを発見し、教えてやらなければならないのだろう。

 以前も就職試験を受けに行く生徒が、「面接で長所が何かと訊かれたらどうしよう」と不安そうに言うので、
「いいところなんかいっぱいあるじゃないか。まず、声が大きいだろう。元気がいいもの。それから、掃除を毎日やってくれる。先生にほめられたって面接で話してもいいよ」
 そんなふうにアドバイスしたことがあった。

 私も普段は生徒を誉めることはしない。あらさがしをして、叱ってばかりいるような気がする。しかしこれでは生徒はますます萎縮する。「自己推薦文」が容易に書けないのは、自分が周囲から肯定的に評価された経験が乏しく、むしろ親や教師からいためつけられ続けた負の遺産のせいなのかも知れない。

 「自己推薦文」を書く中で、そうした負の遺産を精算し、ポジティブな自己イメージが発見できれば、これにこしたことはない。まずは紙の上で「自分」を創作して新たな自己のイメージを掴むことである。それがやがては将来の人生において、新しい自分を確立する契機になるかも知れない。

 つまり、北さんのいうように「動機があるかのように」「自分があるかのように」創作させれば、そのうち動機や自分というものが育ってくるかもしれないということだ。まあ、俗に言えば「嘘か出たまこと」、「ひょうたんから駒」という奇跡がおこらないとも限らない。

 ただし私は北さんが日頃から口にする「かのように精神」には批判的である。これはたしかに大人の智慧というべき処世術で、その効用は認めるものの、ときとして悪弊の方が大きいと考えるからだ。具体的には戦前の天皇制の問題がある。

 天皇を神であるかのよう考えることで日本は近代化を成し遂げたが、やがてこのことが恐ろしい結果を将来することになった。「かのように精神」のもとでは、民主主義に必要な科学的精神は根付かないのではないかと思っている。

 さて、自己推薦文がなかなか書けなくて困っていた生徒だが、ようやく自己を肯定的に評価する視点に立って、それらしいものを書いて持ってきた。私の拙いサンプルは使わずにすますことができたわけで、私にとっても生徒にとっても、これはさいわいなことだった。

<今日の一句> 柿食ひて 友を想へり 月の夜  裕


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