橋本裕の日記
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2002年09月14日(土) 集団的狂気の世界

「飛蝗」という言葉があります。バッタは普段は単独でいますが、干ばつなどで環境が悪化すると幼虫が集まり、体から分泌物を出してお互いに刺激し合って体が黒ずんだ脂ぎった群生相のバッタになります。群生相のバッタはやがて群を作り新天地を求めて大移動を始めます。天をも暗くするこの凶悪なバッタの大群が「飛蝗」で、日本でも明治時代北海道に発生したことが記録に残っているそうです。ここでバッタの話をしたのはその振る舞いが危機に陥ったときの人間の集団と似ているからです。

 動物であれ人間であれその集団の生存が危機に瀕したとき、普段では考えられないような行動をするものです。町の善良な郵便配達夫や田舎の農夫が異国の戦場では銃を握り別人のように平気で人を殺します。そして戦争が終わるとまたもとの善良な市民に戻り、何食わぬ顔で郵便を配ったり畑を耕したりするのです。幸いにして戦後生まれの私たちはそうした体験をしないで済みましたが、私の父親の世代は歴史の成り行きでこうした集団的狂気の中に身を置かなければなりませんでした。私は自分の父親が異国で殺人者の一派であったことを残念に思いますが、だからといって父を非難できるかどうか疑問です。もし父の立場に置かれていたら同様なことをしたに違いない我々に、父の世代の残虐行為を非難する資格があるのでしょうか。

 ところで今かりに再び同じような状況になり、我々が又同じ過ちを繰り返すようであれば、その行為は非難されるべきでしょうか。我々はイナゴと違って過去の歴史から学ぶことができるはずだと考えれば、答えはイエスと言うことになります。しかし我々も危機的状況に陥れば、やはりイナゴと同じく特別な本能(DNA遺伝子の宿命的な配列)によって、再び「群生相」となって狂奔するのではないでしょうか。これは人間性に対するあまりに悲観的な見方かも知れません。しかし私はこの可能性を否定できないと思います。そして我々はこうした可能性を勘定に入たうえで、同じような悲劇を繰り返さないためにより慎重に社会の未来を考えるべきだと思います。

 イナゴと違って我々は理性を持っています。その理性が健全なうちにそれを最大限働かせることにしかこの危機を回避する道はないのです。つまり事態が悪化する前に、その予兆の段階で、その危機に至る可能性を排除するしかありません。我々は人間の理性に信頼を置きながら、しかもそれをあまりに過信しないことです。

(今日の日記は私が5年前に書いた「人間を守るもの」の「第一章自然と社会」からの引用です)

<今日の一句> 稲穂波 風を描いて 黄金色  裕 


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