橋本裕の日記
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近代国家おいては、国民が戦争を望まなければ総力戦である戦争は遂行できない。そこで、戦争を欲する勢力は、国民を戦争へと駆り立てるために、さまざまな手だてを考えて実行する。つまり、国民を戦争へと誘導する演出がなされるわけだ。
先の戦争ではたしかに、日本の政府、軍部やそれに追随するジャーナリズムの煽動者としての役割は大きかった。しかし、なぜエリートである筈の彼等はそのように愚かな戦争を主導するようになったのだろう。このことについて、私は以前に「人間を守るもの」の「第一章自然と社会、全体主義の悪夢」の中に、次のように書いた。
<ロシアの脅威が去った後、イギリスやアメリカは日本をこれまでのような友好国扱いする理由がなくなりました。むしろ日本はロシアに代わる脅威として軍縮会議に引き出されました。やがて日英同盟が撤廃され、国際社会で日本は孤立化を深めることになります。
これまで様々な好意を示してくれたイギリスやアメリカが手のひらを返したように冷淡になったのに日本人は怒りました。国際舞台での政治的な駆け引きになれていない日本人は、その真意を正しく分析することが出来なかったのです。
危機感を持った日本は、いよいよ軍国主義に傾斜します。朝鮮半島を支配下に治め、満州に傀儡政権を建てました。そして中国大陸はおろか東南アジアにまで軍靴を進めようとしたのです。しかしその地域にはすでにヨーロッパ列強の利権と支配が及んでいました。時あたかも欧州で第二次世界大戦が勃発しました。ここにいたって日本はドイツ、イタリーと結び、イギリス、アメリカ、フランスと対決する道を選んだのでした。
こうして日本は無謀な戦争に突入していったのです。もっとも当時この戦争を無謀だと思ったものは少なかったに違いありません。戦争を歓迎する気持は国民の中に瀰漫していました。有力な新聞も名のある知識人もほとんど例外なく「鬼畜米英」を叫び戦争に賛成していました。戦争を遂行したのは軍部でしたが、軍部が威張っていられたのもこうした国民の圧倒的支持があったからです>
日本の軍部も国民も、今になって考えてみると彼等アングロサクソン、すなわちイギリスとアメリカの指導者たちの世界戦略に踊らされ、その掌のなかで愚行と喜劇を演じただけなのかも知れない。戦争の問題を考えるには、こうした国際的歴史的視野と認識を持つことが必要だと思う。
そうすれば、イスラエルとパレスチナ、パキスタンとインド、北朝鮮と韓国、アフガニスタンの悲劇、アフリカ諸国の窮乏と内戦、イラクとイラン戦争など、考えてみれば現在の地上を支配する悲惨の多くが、アングロサクソンの世界戦略に関わりを持っている事実がわかる。
私たちはこのような世界情勢をふまえ、日本の政治状況をふまえて、主体的に生きる努力をしなければならない。それはなかなか容易なことではないだろう。しかし戦争の責任をこうした国際情勢や自国の指導者の専制支配に転嫁しようとすることだけはすべきではない。
できることなら、あくまでも自由な意志を持った人間としての尊厳を守り、そうした責任転嫁の敗北主義にだけは陥りたくないものだ。それが歴史の教訓から学び、愚行をくりかえさないために必要な私たちの心構えだろう。侵略戦争は犯罪であり、あらゆる犯罪がそうであるように、犯罪者はその行為に対して、責任を問われるのである。
私は5年前に「人間を守るもの」を書いて、そうした主体的な生き方の必要性を理論的に追求した。私たちはさまざまな歴史的、社会的な制約の中で生きている。人間としての自由や尊厳を守るためには、システムに依存して生きながら、システムに対峙して生きていく意志が大切になる。そのことがいかに素晴らしいかということとともに、その困難さについても筆を惜しまずに書くことができたと思っている。
<今日の一句> さわやかな 木の葉の呼吸 子は眠る 裕
葉っぱは植物の呼吸器官である。動物が肺で呼吸するように、彼等は葉っぱで息をしている。夜、私たちが眠っている間に、彼等は二酸化炭素を吸収して、酸素を出す。この酸素が、私たちの生に恵みを与えてくれる。その無言のままに行われる行為のさわやかさを、句にしてみたいと思った。
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