橋本裕の日記
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2002年09月10日(火) 国民が望んだ戦争

 現在の国際社会の状況は1930年代と酷似している。ロシア王朝の崩壊とソビエト連邦の崩壊、アメリカのバブル崩壊、株暴落、日本の株崩壊。失業率の上昇。そしてやがて、アメリカと日本の国債大暴落。こうした中で、日本の軍事化右傾化が心配される。いつかきた道を歩むことがなければと思う。

 司馬遼太郎が「この国のかたち」のなかで、「日本は日露戦争いらいおかしくなった」と書いている。日露戦争が終わって、ポーツマス条約が結ばれたが、戦果が少ないと言って、国民は納得しなかった。代々木公園にあつまった群衆が暴徒化して、交番を焼き討ちしたりしたようだ。戦勝気分に酔い、次第に舞い上がっていったのだろう。バブルの頃の人々の有様をみても、現在の状況を見ても、さもありなんと思われる。

 私は先の戦争について、それを望んだのは一人一人の国民ではなかったかと思っている。天皇や軍隊の横暴、ジャーナリズムの扇動のせいばかりにしていてはいけない。戦争に反対した人もいたことは事実だが、ほとんどの国民は戦争を望んでいた。朝日などの新聞も、この国民の熱気に迎合する形で、戦争遂行の片棒をかつぐ記事を出すようになった。

 国民の大多数の意志が開戦にあった。日清、日露戦争の勝利で舞い上がったものの、昭和恐慌のなか、不況と失業に苦しむなかで、国民の中に戦争待望論が遼原の火のように広がっていった。人々の心は乾燥した鉋屑のようなもので、容易に戦争へと発火して行く。

 軍隊がいばっていられたのも、天皇制が機能したのも、国民の圧倒的多数の応援があったからだ。こうした状況の中で、政府や議会や、天皇自身、戦争遂行へと傾いていった。結局戦争は「国民一人一人のの責任」だということができる。この認識がないと、歴史はいくたびでも繰り返す。

 What is Past is Prologue.
   過ぎ去ったことはプロローグ(序章)である。

 ワシントンの国立公文書館の入り口に石像が建っていて、その台座には、この箴言が刻み込まれているという。

<今日の一句> 虫の音も 涼しくなりぬ 月の夜  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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