橋本裕の日記
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8月16日の日記でアメリカには400万人もの失読症の人たちがいると書いた。ブッシュ大統領やトム・クルーズなど、有名人たちにも多い。エジソンもそうである。ヨーロッパにも多くて、アインシュタインやピカソなど名だたる大家がこの失読症だったらしい。
これに比べて、日本人には失読症は少ないようだ。北さんはこれは言語表記(表音文字、表意文字)の違いによるのではないかと言う。私もそう思ったので、再びネット検索を使って調べてみた。
結論から言えば、西洋人に失読症が多いのはアルファベット(表音文字)を使っていることと、そのスペリングが複雑であることが災いしているようだ。失読症でなくても、英語やフランス語で書かれた文章を読むことはかなり負担があるという。そのなかでイタリア語は発音とスペルが殆ど一致しており、イタリア人には失読症もそれほど多くはないという。
アメリカでは字幕入りの映画というのは受け入れられない。例外は「ダンス・ウィズ・ウルブズ」くらいで、これも予想ではネイティブ・アメリカンの言葉が出てきて字幕を付けざるを得なかったのでヒットしないといわれた。
かな漢字交じり文の日本語は一目で意味がわかるが、英語はとても字幕では読み切れない。私はDVDを使い、英語字幕入りの映画を見ているが、読みとりが難しい。ネイティブでもそうだと聞いて安心した。
同じ表音文字でも、日本の子供は「あいうえお」を覚えればどんな絵本だって読める。英米の子供はこれができない。pneumoniaとかpsychologyとかwreathという言葉を聞いて、意味を調べようと思ってもスペルがわからないので、辞書で調べることもできない。日本の子供は「はいえん」とか「しんりがく」「リース」で意味を調べることができる。日本語のかな漢字まじりの表記は、言語表記としてこうした利点を持っている。
もっとも、日本人にも失読症が皆無ではないようだ。私も大学時代の友人で、「失読症」らしい病気にかかった人を知っている。彼は「本が読めなくなった」と言って、途中で学業を放棄し、最後は投身自殺をしてしまった。20年以上も前の話だが、当時はまだ「失読症」という病気そのものが認識されていなかったので、私もノイローゼだと思っていた。
養老孟司さんの「考えるヒト」によれば、日本人には二種類の「失読症」があり、それは「カナ失読」と「漢字失読」で、それぞれカナか漢字が読めなくなるらしい。しかし、いずれも脳に損傷を受けた場合で、発症率はアメリカ人やイギリス人よりはるかに少ない。失読症の研究から、日本人の脳の構造も見えてくる。また、その治療法もあきらかになる。
<脳に基礎づけることで、われわれは必要なら、そうした現象に対する原因療法を発見できるはずである。もっとも私は、右のようなわけで、日本における漫画の流行や、日本人のいわゆる外国語下手を、病的現象だなどとは夢にも思っていない。国粋主義的に言うなら、言語については、外国人のほうがまさに「頭が足りない」のである> 日本語は一見表記が複雑のように見えるが、実際には読みのスピードは英語はもちろん、中国語よりも速いらしい。漢字のみの中国語よりも、意味の中心を表す漢字に、意味と意味の関係を表す仮名を使った日本語はより視覚的にわかりやすく、一瞬にして、文章全体を目で捉えることが可能だからだ。黙読する限り、あらゆる外国語に比較して、日本語の方が圧倒的に速く読めるという。
読むのがやさしいので、当然「失読症」も少ないわけだ。こうした日本語によって私たちの思考や文化が創られていく。日本で漫画が流行するのも、この日本語表記の特徴と無関係ではないらしい。こうした優秀な性格を持っている日本語は世界に誇る大切な文化財でもある。大切にして行きたいものだ。
<今日の一句> 汗ばめば 少女のからだ 浮かびたり 裕
部活動の帰りだろう、炎天下、少女の汗ばんだ肌に着衣がはりついて、やはらかな女の体のかたちが透けるように浮かび上がっていた。そこで「少女のからだ」と書いたが、「女のからだ」「匂ふからだ」でもよい。
汗ばめば 女のからだ 浮かびたり 汗ばめば 匂ふからだが 浮かびたり
ただし、 「匂ふからだ」では、汗ばんでいるのがだれだか分からない。人によってはもう少し成熟した女性を想像するだろう。しかし、読者の想像を誘う空白もまた、文学の大切な要素である。これによって生まれる、読み手の想像の自由と、この自由をたのしむゆとりを大切にしたい。
わずか17文字の俳句の場合、「空白」を生かすことが必要になる。そう考えると、やや意味の曖昧な「匂ふからだ」を選んでみたくなる。今日の一句は迷ったので、3句を書いて、蛇足を付すことになってしまった。
(今日から1日2泊で山梨県の中山湖へ旅行します。明日の日記の更新は、夜遅くになると思います)
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