橋本裕の日記
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2002年08月15日(木) 滅びゆく故郷

「ふるさと」を漢字一字で表すとしたら、何を選ぶか、住友生命がアンケート調査をした結果、「山」「海」「母」が一位から三位までを占めたという。まあ、妥当なところだろう。

 私の場合は以前なら「海」を選んだのではないかと思う。私の生まれたところは、とりわけ海が近いわけではない。しかし、小学校時代の数年間を若狭の海のほとりで暮らした。その頃は、海でよく遊んだものだ。

 福井市の私の家から、越前海岸まで、自転車で1時間半ほどかかったが、夏になるとかならず海水浴に出かけた。結婚してからは墓参りに帰省したおりに、家族で行く。昔自転車で通った道も、車で走れば30分ほどである。

 私は生まれは福井市だが、祖父の地は少し離れた山村である。菩提寺も山の中にあり、毎年参っている。中学、高校の頃は、父に連れられてよく山仕事に行った。私の場合、ふるさとのイメージとしてまず「山」が浮かんでもいいのだが、敬遠したくなるのは、辛かった山仕事の思い出があるからだろう。

「山」は私に苦しい「労働」を連想させる。反対に「海」は心が浮き立つ喜びの象徴であった。ところが、今年、少し異変が起きた。海でクラゲに顔面を刺されて、海のイメージが悪くなったのである。そして、「山」のイメージがよくなった。ふるさとの象徴として山を選びたい気持が強くなった。

「山」が好きになってきたのは、歳のせいもあるのだろう。父にしかられて、いやいや入った山の苦しい強制労働も、いまでは懐かしい思い出である。谷川のせせらぎや林道のしずかなたたずまいが浮かぶ。ヒトリシズカ、リンドウ、オミナエシ、ヤマブキといった野花の美しさに心がひかれる。

 毎年帰省するたびに思うのは、このなつかしい自然が少しずつ損なわれていることだ。すでに父と植林した山はすっかり荒れている。上流にダムが出来て、谷川の水は涸れ、鮎やイワナなどのすがたもめっきり少なくなった。そして、ふるさとの村からひとの姿までが消滅しつつある。 

 今日は終戦の日である。「国破れて山河あり」とむかしの詩人は歌ったが、国が破れても人々が絶望しなかったのは、そこに美しい山河が残されていたからだろう。その後、国は未曾有の経済発展を経験し、おおいに繁栄を謳歌したが、その結果ふるさとの自然が滅びようとしている。

 今、日本は世界的な経済戦争のさなかに身を置いている。この戦いに傷ついたとき、はたして私たちを抱擁してくれるやさしい山河が残されているかどうか、いささか心配である。「国破れ、山河も荒廃」ということにならなければ幸いである。
  
<今日の一句> ふるさとの 墓の近くに 女郎花  裕


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