橋本裕の日記
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2002年08月06日(火) 非核三原則の法制化を

 57年前の1945年8月6日に、広島に原爆が落とされた。3日後の9日には惨禍が再び長崎を襲った。その生々しい体験記を、「戦争を語り継ごうリンク集」のなかの「原爆」のページから読むことができる。たとえば、これは広島の原爆で姉を失った男性(井守能成、当時15歳)の体験記の一部である。

<淑子姉さんは「夜勤明けの帰途、紙屋町あたりの電車の中で被爆した。火の無い所を求めて逃げて歩いた。苦しかったので持ち物は全部捨てた。ごめんなさい」などと母に話していた。15分か20分たった頃、「水が欲しい」というので、タオルを水に濡らしてあげると、美味しそうに「チューチュー」と吸った後、喋らなくなった。

 間もなく我が家に着くという頃、母が「もうすぐ家に着くよ」と話し掛けたが、もう応答がなかった。我が家の隣は段原中学で、その体育館が臨時野戦病院になっていた。そこへ運び込んで、軍医さんが注射をうってくれたが、喉をピクピクと2度ほど動かしたきりで、あの世に旅立った。思えば、濡れたタオルを「チューチュー」と吸ったのが「末期の水」であったようだ>

 原爆の惨禍を身をもって体験した我が国は、その教訓から、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」の「非核三原則」を国是としてきた。ところが、福田長官は、「憲法改正を言う時代だから、非核三原則だって、国際緊張が高まれば、国民が(核を)持つべきではないか、となるかもしれない」と記者団に語っている。

 小泉首相は国会答弁で、「わが内閣は非核三原則を堅持する」と表明したものの、将来の内閣については「堅持してもらいたい」という希望にとどめた。「将来にわたって堅持すべきである」としてきた歴代の内閣とはあきらかに対応が違ってきている。小泉首相は昨年の原爆忌に、被爆者の声を聞く機会を持ったが、今年は公務多忙を理由に見送るという。

 こうした政府の動向は気がかりである。被爆体験が風化する中で、「非核三原則」もなし崩しに反故にされるのではないだろうか。危機感を持った広島市長は非核三原則の法制化を小泉首相に求め、長崎市議会も法制化を求める決議をした。この運動を全国に波及させ、国会での法制化を実現したいものだ。手遅れにならないうちに。

<今日の一句> 原爆忌 炎暑のなかに 夾竹桃  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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