橋本裕の日記
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2002年08月04日(日) 花にあらずといふ事なし

 芭蕉(1644年〜1694年)と言えば、たとえば「古池や・・・」の句が思い浮かぶが、芭蕉といえども最初からこんな名句を詠んでいたわけではない。芭蕉が若い頃は、京都の松永貞徳が、全国の俳諧の中心人物として、平易通俗を主題とした俳諧の普及につとめていた。芭蕉は彼のグループ「貞門」の一人だった。

 やがて、大阪で西山宗因が、思い切った卑俗性、滑稽味を売り物にした「談林」風を開いた。貞門俳諧の平易通俗に飽きたらない人々は、この新奇な談林俳諧を受け入れ、たちまち全国に流行した。

 江戸に出て、俳諧師になることを目差していた芭蕉も、たちまちこの風に染まって、たとえばこんな句を詠んでいる。

  女夫(めおと)鹿や毛に毛が揃うて毛むつかし

 滑稽な言葉遊びだけの、どちらかというと野卑な句である。こういうつまらない俳諧はやがて飽きられる。実際談林風は10年もしないうちに下火になってしまった。そして俳諧そのものの人気が急速に凋落しようとしていた。

 芭蕉が俳諧に新風を開いたのは、そんなときである。それは談林の俳諧とはまるで違ったいた。日常のなんでもない出来事を平易な言葉で詠みながら、そのなかにそこはかとない人生の哀歓をとらえていた。

  山路来て何やらゆかしすみれ草
  閑さや岩にしみ入る蝉の声
  秋深き隣は何をする人ぞ
 
 芭蕉はなんでもない庶民の日常生活の中に風雅の道を見いだした。そして卑近で身近な言葉を用いながらも、その精神性において、伝統的な和歌に匹敵する香り高い詩境を、俳諧にもたらすことに成功した。

 ことさら奇をてらうわけでもなく、滑稽な言葉遊びや、ひねくれた約束事に興じるという見せかけの高踏さもない。低俗に流されていた俳諧を高度の芸術にまで高め、日常生活の中の詩情を具体的詠む彼の作風は、庶民の共感を呼び、またたくうちに全国に浸透した。

 蕉風の人気はその後400年以上衰えることなく、現代の日本人にも受け継がれている。それは彼の創造した世界が、変わることのない人間の心の真実にふれていて、普遍性をもったほんものの芸術だったからだろう。

「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其の貫通する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ処月にあらずといふ事なし」(笈の小文)

 芭蕉にとっての人生の理想は、生活を芸術と一体化させることだった。芭蕉にとって俳諧はこの理想を現実化するてだてだった。人生の芸術化、芭蕉はその理想をあの貧しい時代に敢行した。私たちははるかに豊かな物質文明のなかに生きている。それでいて、私たちの人生がより深く精神的で、より豊かに芸術的かといえば、疑いなしとはしない。

<今日の一句> 晴着きて 笑ふがごとし 芙蓉咲く  裕


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