橋本裕の日記
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2002年07月31日(水) アウトサイダー

 映画「インサイダー」の話の続きである。会社を解雇されたワイガンドはそれまで住んでいた豪邸を売って、もっと庶民的な家に引っ越しをする。そして、下町の高校の教師として、再出発する。

 こうした変化を受け入れることが出来ない妻に対して、ワイガンドは「これからは君たちと一緒にいられる。家庭を大切にしたい」とやさしく語りかける。大手たばこ産業で技術担当の副社長をしていたとき、彼は毎日が苦痛だったという。ただ収入のために、会社の利益のために意に添わない仕事をしなければならなかったからだ。

 それが、高校で「化学」を教えるようになって、自分の仕事に張りが感じられるようになった。収入ははるかに少なくなったが、教室で生徒達を教える彼は冗談を飛ばし、別人のように生き生きとしている。彼にとって、転職は悪くはなかった。「これが自分のサイズにあった生活だ」と考えて、この新しい境遇にささやかな希望を見出している。

 こうした夫の前向きな姿勢を、妻は受け入れることができない。妻はこれまでの生活と社会的成功という夢を捨てきれないのだ。この夫婦の葛藤はワイガンドが法廷でニコチンの害について証言しようとしたとき、極点に達した。妻は「もうあなたについていけない。あなたを支えきれない」と言って、離婚をほのめかす。

 映画を見ていて、私は「「何という愛情のない妻だろう」と思った。しかし、妻の立場に立てば、これももっともなことかもしれない。彼女にとって社会的ステータスのある高級住宅街に住んで、ボランティアに精を出し、二人の娘を私立の優秀な学校に通わせることは大切なことである。それは多くのアメリカ人が追求している人生の目標でもある。

 妻にすればこうして手中にした幸福をむざむざ手放してしまう夫こそ、身勝手で家庭を顧みない男かもしれない。優秀な科学者として、地位と収入を約束されながら、会社と対立し、解雇されてしまうのは、彼がまったく不器用な人間だからだ。なぜ、もっとうまく立ち回れないのかと、欲求不満が募ることだろう。

 ワイガンドはこれまで、この妻を代表する一般的な価値観の枠の中で生きてきた。たばこ産業に身を置くようになったのも、待遇と収入に魅力を覚えたからだ。そして実際に彼は理想的な生活を手に入れた。人もうらやむ地位と収入、妻と娘たちの満ち足りた笑顔につつまれた家庭がそうだ。

 しかし、ワイガンドはこうした世俗的成功に身を置きながら、幸福ではなかった。むしろそうした生活に耐え切れなかった。ストレスがたまり、気がつくとスーパーのがらくた商品を万引きしようとしていたりした。会社でも我を忘れて、怒りっぽくなった。

 彼は自分らしい生き方をしていなかった。社会的成功よりも、収入よりも大切なもの、それは自分らしく生きるということだろう。彼はそうした本来の自分の生き方を捨てることができない。彼が家庭の幸福を捨てて<内部告発者>となったのは、彼のこうした不器用さのせいかもしれない。

 彼と同様な不器用さと頑固さを、バーグマンもまた持っている。そして彼も又、<内部告発者>とならざるを得なかった。彼等は組織に身を置き、そしてその組織の事情に誰よりも通じていたインサイダーだった。しかし、彼等は組織の中で頑固に自分自身であり続けた。その結果、彼等はまた必然的にアウトサイダーとして生きることを余儀なくされた。

 言論の自由や社会的正義、人権の擁護を口にすることはたやすいが、それを守ることは容易なことではない。そのためには、彼等のように頑固で不器用で気骨のある人間が必要である。この不正と欺瞞の横行する社会にあっても、彼等のような人間がいやおうもなく存在することが、何よりもの救いである。

 たばこの煙の中には、4000種類の化学物質が含まれ、そのうち発ガン物質などの有毒化学物質は確認されているだけで200種類を超えている。たばこを一日10本数吸う人は、非喫煙者とくらべて、肺ガンで約2倍、喉頭癌では10倍もの死亡率になっている。

 1994年連邦議会下院健康環境小委員会において、たばこ会社7社の最高経営責任者は宣誓をした上で「ニコチンに依存性がない」と証言をした。ところがワイガンドの内部告発により、たばこの依存性を高める添加物(アルコール)を使用していたことを暴露した。こうして彼等が議会でニコチンの依存性があることを知りながら嘘の証言をしていたことが明らかにされた。

 これを機に、裁判で負け知らずだったたばこ会社は、1998年11月総額2060億ドル(約24兆円)と言う天文学的賠償金を46州に支払うことで和解に合意した。この敗訴によってアメリカの訴訟と関係のない日本のたばこ産業会社も高額の和解金を払っている。

 たばこが原因で発病した喘息や肺がんなどの治療費は米国では7兆3千億円を要しているという。日本の場合、たばこによる医療費等の支出の公式数字はないが、推計で年間3兆円から4兆5千億円と言われている。これに対してたばこによる税収は年間約2兆円である。たばこ産業は税収に寄与していると言われるが、医療費や失火などの社会的コストを考えれば、経済的に間尺があわないことは明らかである。

<今日の一句> 路地裏に 風鈴はなし 熱気くる  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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