橋本裕の日記
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2002年06月30日(日) 日本の教育の問題点(16)

私「私は日本の教育の問題点の一つに<教えすぎ>があると思っています。なぜ<教えすぎ>が問題かというと、答えが先に与えられることで自ら考え、発見する喜びが奪われるからです。学習とは本来、発見の驚きと感動を伴う、とてもエモーショナルな活動ではないでしょうか」

B「橋本さんは、分母の違った分数の足し算を教えることも<教えすぎ>だと考えるのですか」

私「あらかじめ先回りして、答えを押しつけるべきじゃないと思っています。ただ、1/2+1/3はどうなるのだろうね、と生徒に問いかけることは大切ですね。こう問いかけられたときに、皆さんならどう答えますか」

C「ええと、1/2=3/6,1/3=2/6なので、
  1/2+1/3=3/6+2/6=5/6 
こんなところでしょうか」

私「大正解ですね。生徒はすでに、1/2=3/6,1/3=2/6などは学習しているわけです。3/6+2/6=5/6もできます。この二つの考え方を<化学反応>させればいいわけですね。すでに知っている知識を、実際に自分の頭の中で組み立てる格好の機会になるはずです。頭の中で一種の合成反応が起こるわけで、教師はその触媒になる必要があります」

C「少なくとも小学校の段階では、教師はそうした機会を提供するだけで、答えは教えないのですね」

私「そうです。そうすれば、生徒のなかには自分で考えて、正解を出す者が必ずいます。そのときは、最大限ほめてやりたいですね。なにしろその生徒は自分で答えを見つけたのですから、きっと、その生徒にとっては一生を決定するような事件になるかもしれません」

B「そうした生徒は、例外中の例外ではないでしょうか。どうやら、橋本さんにはそうした体験がありそうだけど、多くの生徒にとっての有効な教育法だとはいえませんね。やはり教育は大多数の凡人を対象にしなければいけないと思います」

C「さきほどBさんは、日本の教育は国際競争に負けてはいけないと言われましたね。そして今度は、教育は凡人のためだと言われる。ちょっと矛盾しているように思うのですが・・・」

B「矛盾はしていませんよ。橋本さんが重視するのは、いわゆる<発見学習>方式でしょうが、そうした効率の悪い方法を採用していては、国際競争に負けてしまいます」

F「国際競争はともかくとして、効率が悪いことは事実でしょうね。いちいち自分で発見していては、なかなか先に進めないのではないでしょうか。やはり、一般の生徒にはきちんと答えを教えるべきではないでしょうかね」

G「ただ、その場合にも頭ごなしに覚えさせるだけではなくて、その道筋を考えさせ、原理を理解させることは大切だと思います。私も橋本さんの教育論はこの場合はいささか非現実的ではないかと思います」

私「私はとても現実的な方法ではないかと考えています。長い目で見れば、とても効率のよい方法だと考えています」

B「その理由を言って下さい。論理的に、かつ具体的に説明して欲しいですね。橋本さんは数学の先生だから、ひとつお手本をお願いします」

私「必要最低限で簡潔にやってみましょう。私の方法ではまず、落ちこぼれがなくなります。なぜなら、児童の心理的発達段階に適応して教材を精選しているからです。さらに、教えすぎの弊を逃れることで、平均以上の発達段階に達している生徒に対しては、自ら考えるゆとりをあたえます。教師がそうした生徒達に問いかけることで、彼らの向学心を刺激し、彼らがさらなる段階に進むことを援助することができます。教師がその産婆役になるのです」

C「しかし、優秀な生徒が先に進もうとしたとき、教材が限定されていては、そこで足踏みせざるを得ないのではないでしょうか。たとえば、分数の割り算を理解する能力をもつ生徒にとって、共通分母の足し算しか扱わない授業は非常に退屈だと思います。教師のさらなる問いかけが彼らの向学心に灯をともしたとして、それならそれで、余計に学校が退屈な場所になりそうな気がします。優秀な生徒に対して、効率的だとは思えませんね」

B「ふつうの生徒にとっても、教材の簡易化は、学力の低下をまねくことになると思います。やはり、難しい問題を与えて、ときには挫折感も体験することがなければ、学習面においてもたくましさは得られないのではないでしょうか」

F「難問に挑戦することで、実践力が身につき、切磋琢磨するなかで達成感や自信が得られます。私は勉強することの意義は、そうした中で忍耐心や克己心を培うことではないかと思います。これは人生を生きていく上で、必要なものですからね。まさに、文部科学省のいう根源的な生きる力ですよ」

<今日の一句> 雲のかげ 山の緑を 深めたり  裕


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