橋本裕の日記
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2002年06月27日(木) 日本の教育の問題点(13)

 楽斗さんからいただいたメールに対する私の返信と、楽斗さんの二番目のメールを掲載する。なお、日本の教育の問題点(1)〜(11)をまとめて読みたい方は、「何でも研究室」「数学World」「対話編数学教育は如何にあるべきか」をご覧ください。

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楽斗さん、メール、ありがとうございました。ご意見、非常に参考になりました。ご指摘の点を今後の日記の中に反映させて行きたいと思っていますが、結論だけを言えば、楽斗さんの

<学校の教育は「詰め込み教育」であるべきなのです。つまり、少々言い方は悪いですが言い換えると「やれば( 覚えれば)馬鹿でもできる勉強」であるべきなのです。もっと柔らかく言うと「努力がむくわれる勉強」であるべきです。橋本さんが今回おっしゃられた形式だと逆に努力はむくわれないと思います>


 という意見には賛成できません。試験は何のためにあるのでしょうか。理解度や達成度をチェックし、学生に勉学への動機付けをあたえるためだと思います。試験のためのの勉強ではなく、人生のための勉強が本筋だと思います。

 こうした本末転倒の考え方がまかりとおっているのが日本の教育の現状だと思います。馬鹿でもできる試験を作ることは意味がありません。馬鹿を作るために、なぜ莫大な教育費をつかい、子供たちの自由をうばわなけれなならないのか。ところが日本ではこのような不合理がまかり通っています。
(勉強すればするほど馬鹿になるというおかしなシステム)

< 1/3÷1/2=2/3  を、文章にすると、「楽斗君は友達から西瓜を三分の一頂き、それを家に持って帰り食べようとしたところ、一人娘が食べたがったので娘にあげることにしました。娘は楽斗君がいつも食べる量の半分しか食べないので、楽斗君より食べた時の満腹感より、倍の満腹感を感じたのでした>

 これはなかなかいい線ですね。私が文章にすると、こんな感じでしょうか。
「いま、大ジョッキにビールが1/3だけ残っています。これを容量が半分しかない小ジョッキに入れ替えたら、さて、このビールの見かけはどうなりますか。答え・・・・2/3」

 なお、ひよっとしてメールの全文を日記に引用させていただくことになるかもしれません。もし、不都合であれば、お知らせくださいね。
 今後とも、貴重なご意見をお待ちしています。

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 どうも楽斗です。

<試験は何のためにあるのでしょうか。理解度や達成度をチェックし、学生に勉学への動機付けをあたえるためだと思います。試験のためのの勉強ではなく、人生のための勉強が本筋だと思います>

 えぇ、私もそうだと思います。本当に。ただ、理解度と達成度のチェックというその目的故に言ってしまえば、学校内のテストは丸覚えすれば高得点をとれるようになってしまいます。無論それは言うほど簡単なことでもありませんが。

 人生の為に勉強はすべきなのですが、社会がそうはさせてくないのが現状でしょうか。生徒も試験の為の勉強をしなくては上位の高校・大学には入れないし、教師も人生の為の勉強を教えたくてもなかなかできません。

 その点橋本さんも仰ってたように、米国の教育システムはいいと私も思います。勉強は所詮ただの「方法」であり決して「目的」なんかではないのですが、そんな当然すぎることが文部省にはわからないようです。大学合格の為に勉強は半ば目的と化しています。

 でもまぁ、それは賢い子供が割り切ってすればいいだけの話で、別に全部が全部悪いとはそんなに思ってはいません。が。子供にとっては割り切るより他ないですからね。自分の生まれた国がそういうシステムな以上従うしか。嫌なら従わなければよいのですが、世間的にそれは恥ずかしいみたいな風潮が悲しいことにありますね。

 勉強できるできないと頭がいいわるいは関係ないという言うのもどうかと思うぐらい当然すぎることがわかっていない人が多いのでため息がでます。しかし、あまりにも考える問題ばかりというのはやはりどうかと思うのですよ。やってできるからこそ楽しい(やる気がまだでる)やってできないならば楽しくない。(落ち込む)例えできなかろうが、やって、生徒が「面白い」と少しでも感じることはいいと思います。

 ただ、僕が言うのはそれを全てにしては駄目だというだけで、まぁ「詰め込み教育にすべきだ」は多少大袈裟に言ったかもしれませんが、やはり基本は「頑張れば解ける」という問題だと、思います。

<馬鹿でもできる試験を作ることは意味がありません>

 でも、実際そうなんですよね。馬鹿でも、努力すればできます。それが学校の問題です。と、いってもそんなに本当に馬鹿な子なんていません。馬鹿というと本当になにも理解できないように聞こえるかもしれませんが、ここでは普通の子と解釈して下さい。馬鹿が基本です、僕も馬鹿です。つまり努力する子はできてしない子はできない、と。賢い子は覚えるだけじゃ解けない問題を大学で専門的に学ぶことでしょう。

 普通の子が解けない問題を前面に押し出す(必修にする)必要はなく、ただおまけ的要素として取り入れるといった形の方がよいのではないのでしょうか?というのが、結局の所の僕の意見です。

<馬鹿を作るために、なぜ莫大な教育費をつかい、子供たちの自由をうばわなけれなならないのか。ところが日本ではこのような不合理がまかり通っています。(勉強すればするほど馬鹿になるというおかしなシステム)>

 そうですね、日本の文部省は本当どうかしてると思います。ただそうある以上子供は従わなければならないという悲しい現状です。「考える力」を養わせる為にという名目で将来実生活で使わないような計算をさせ、子供が無駄と感じ勉強意欲をそがれ数学嫌いになるようじゃ、本末転倒とか言う前になにがやりたいんだかわかりません。考える力を養わせたいのなら橋本さんの言うような形のものをもっと増やしていった方が効果的だと思います。

<いま、大ジョッキにビールが1/3だけ残っています。これを容量が半分しかない小ジョッキに入れ替えたら、さて、このビールの見かけはどうなりますか。答え・・・・2/3>

 なるほど、こう言ってはなんですが、流石は現職の方ですね、見事な洗練です。私もかなりいい線いったと思いましたが、少し抽象的な表現に最後は頼らざるをえませんでしたからね、お腹の満腹度という非常に曖昧なものに(笑)。これだと量がはっきりしていてよいですね。

<今日の一句> 寝ころべば 吾も旅人 夏の雲  裕


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