橋本裕の日記
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2002年06月26日(水) 日本の教育の問題点(12)

 6/16に日本の教育の問題点(11)書いて以来、10日ぶりの再開だが、今日と明日はスペシャル番外編である。実は、前回書いたことについて、ある方(楽斗さん)から長文のメールが送られてきた。許可をいただいたので、ほぼその全文をここに掲載しよう。なお、明日の日記に、私の返信と、楽斗さんの二番目のメールを掲載しようと思っている。

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 はじめまして。楽斗ともうします。
 本日(6/16)の学校数学の件に関し、私なりに思うところがあったので少々述べさせて頂きたいと思います。どうかご拝聴を。

 なるほど、確かにもっともな意見だと私も思います。よく言われるのは、大学入試や模擬試験などで知識ではなく知恵を問われる問題、即ち「考える」問題を出された時その回答率は非常に低いというデータが出されています。

 この話からもうかがえるように昨今の子供の考える力というのは全体的に見て低下していっているかもしれません。このデータだけでそう述べるのはいささか早計な気もしますが、他にも似たような事例や話はよく聞きますので、恐らくほぼ間違いのない事実でしょう。

 それもこれも橋本さんも仰られるよう、今の学校の「詰め込み教育」に問題があるのかもしれません。ただ少し疑問があるとしたら、詰め込み教育云々の前に、まだそんな教育形式じゃなかった過去の学生はちゃんと「考える問題」を解けたのだろうか?という点でしょうか。もしそうじゃなかったら、ただ単に「本当に賢い子」が少ないだけというごく当たり前のデータかもしれません。昨今の教育に疑問を持つ現在社会の中だからこそ、このデータが目立ち、そういう風に受け止められしまったのかもしれません。

 しかし、そんなことを言っても始まりませんし今回私が言いたいことはそういうことではありません。数学のお話、お見事でした。計算式からの文章問題作成という逆転の発想、本当に感心致しました。確かにこれは面白いですし、これならば意味を見い出せます。私を始め意外に誰も気付かなかったところだと思います。

 数学を教えてらっしゃるという橋本さんですから、当然の如く様々な学生の生の意見をお聞きになっていることでしょう。その中の数学嫌いの子の言う大体の数学嫌いの理由は、「実際使う機会ないから無駄に感じる」というようなものだというのは、私にも推測をつけることができます。実際、私もそんな感じでしたので全くしませんでした。

 この計算式からの逆の形式ならば、そんな私でも楽しめたと思います。同時に、考える力も養うことができ、文部省もゆとり教育だとか言う前に導入すべきかもしれません。

 ただ、私はあくまでこの逆の形式は「おまけ」程度にしておくべきだと思います。むしろ、こういうのは大学等で学ぶべきことかと。いや、別に橋本さんは全ての数学問題をこういう形式にしろなどと言っているわけではないのですが。

 何故かと言うとこの逆の問題形式は、本当に頭がよくないと解けないからです。無論簡単な問題ならば解けるでしょう。2+3や6ー5といった類のものであれば。しかし、橋本さんが例にあげたような1/2×1/3等と少しつっこむと、私は頭が悪いので少々答えに詰まってしまいます。恐らく中学生でもなかなか出しにくいでしょう。

 それに、1+1等の簡単な数式では答えはいくらでもありますが、先に上げた1/2×1/3レベルの問題では、必然的に答えのパターンは決まってくると思います。要は置き換えです。

 例えば「兄と弟はお父さんからヨウカンをお土産にもらいました。兄と弟はそれを半分こにして、兄はその場で食べましたが 弟はペットの犬三匹にそれを全部分け与えました さて、ペット一匹が食べたヨウカンは全体の何分の一で
しょう?」といった具合に。

 こういうパターンを、考えることを放棄した学生が行う可能性は十分にあると思います。それでも、初めてこの1/2×1/3の問題を出して回答例を出さないで宿題にすれば、十分効果はあるかもしれません。

 本題に戻りまして、「おまけ」程度にするべきで、むしろこういうのは大学でやるべきだという私の意見の理由を再び述べさせて頂きますと、先程述べさせて頂いたように、こういう問題は本当に頭がよくないと解けない。というのは、大学受験なら数学は外すことができますが、高校受験ならほとんどの高校が5教科になります。その数学でこんな問題が1/3程でたらどうでしょう?

 賢くない生徒は落ちないにしても、数学の点数はガタ落ちになってしまいます。学校の教育は「詰め込み教育」であるべきなのです。つまり、少々言い方は悪いですが、言い換えると「やれば(覚えれば)馬鹿でもできる勉強」であるべきなのです。もっと柔らかく言うと「努力がむくわれる勉強」であるべきです。橋本さんが今回おっしゃられた形式だと、逆に努力はむくわれないと思います。

 こういう形式の問題はやってもできない子はできません。それだと問題なのではと思います。だからやるなら大学でするべきだ、と申したのです。それを証明しているのが国語が苦手だという子が多い、という事実です。いくらやり方があるとはいえ、性質が「考える問題」によっていると言えるからだと思います。

 数学嫌いは基本的にはやらないからできないだけだと思いますので、国語嫌いとは性質が違うのではないかと思います。橋本さんも述べられたように「意味を見出せないからやる気もわかない、だからやらない、なのでわからない」というだけの話であって。

 わかりやすい例で。私の学生時代の時にこういうクラスメイトがいました。範囲が決まっている期末テストでは全教科90点以上を出すのですが、いざ実力や模試となるとからっきしという子と、期末テスト等はさっぱりだが実力を問われるテストとなると高得点を出す子が。前者の子は、こういう「考える問題」ばかりになると、真面目に努力する子なのに、なにもむくわれず勉強する気がおこらなくなるでしょう。

 反対に後者の子は、努力もなにもしないでいい点数がだせるので勉強は楽しくなるでしょう。だけど、当然のように後者の子の方が希なのは当然のことです。

 やはり、これは少々大袈裟に言えば変な選民意識を育てる結果になるやもしれません。やればできるから平等なのであって、やってもできないのならこの国の教育に対する概念が根本から覆り、高校や大学にいくのが昔のように「特殊」になることでしょう。かといって別にそれが悪いことだとは言いませんが。

 しかし、今気付きましたが、こういった形式の逆の問題も例に出した「置き換え」の要領でいけば、少々国語的な「答え方」ができますね。「この問題にはこういう答え方をせよ」というような「*の部分に問題の数字をあてはめればよい」みたいな感じで。「分数のかけ算ならこうだ」的な。

 これは僕が上に述べた問題点は解消されますが、皮肉なことにこれを学生が丸覚えすれば、結局は考える力を養うことに繋がらず、問題は解決されていませんね。なにも変わらずです。やはりこの点からもおまけ程度にするべきかもしれません


 以上、真に勝手ながらこんな長文・散文を送らせて頂きました。読んで頂けて幸いです。結果的に、なんだかケチをつけるような文章になってしまいましたが、基本的に私も橋本さんの意見には賛成ですし、考える力は育成すべきでただの機械的な仕事はどうかと思うのです。なので、もし気分を害されたらのでしたらすいませんでした。

 それと、少し気になり分数の割り算の文章問題を私なりに考えてみたのですが、こういうことなのでしょうか? 1/3÷1/2=2/3 を文章にすると、

「楽斗君は友達から西瓜を三分の一頂き、それを家に持って帰り食べようとしたところ、一人娘が食べたがったので娘にあげることにしました。娘は楽斗君がいつも食べる量の半分しか食べないので、楽斗君より食べた時の満腹感より、倍の満腹感を感じたのでした」

 こんな感じでしょうか?

<今日の一句> ひとむらの 浜昼顔や 海近し  裕


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