橋本裕の日記
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| 2002年06月16日(日) |
日本の教育の問題点(11) |
E「計算を通して思考力をやしなうとか、将来に開かれた視点からの数学教育と言われても、私には話が抽象的でよくわかりません。もう少し具体例を出して、わかりやすく解説していただけませんか」
私「分数計算の例で考えてみます。たとえば (1/2)×(1/3)=1/6 という計算式があるとします。これに該当するような事例をあげてもらいましょうか。Aさん、どうでしょうか」
A「たとえば、2人の息子がいて、親が二人に土地を半分ずつ分け与える。さらにそのうちの一人の息子に3人の子供がいて、彼らに1/3ずつ土地を遺産相続させるとします。そうするとその孫の受け取る土地は、祖父の土地の1/6ということになります」
私「おみごとですね。それでは次にEさんに質問しましょう。1/5+2/5=3/5という計算式が成り立つような具体例を一つあげてくれませんか」
E「ケーキをA君とB君がそれぞれ全体の1/5と2/5だけ食べたとすると、二人に食べられたケーキは全体のどれほどの部分になるか。食いしん坊ですからこんな例しか浮かびません」
私「結構ですよ。そうした具体的なイメージをいろいろと思いうかべながら分数のかけ算や足し算の問題練習をしてみてはどうでしょうか。計算問題を機械的に解くのではなく、逆に計算式から、文章題を作ってみたり、その状況を考えてみるのです。そうすると計算式が単なる死んだ記号ではなく、ある具体的な意味を担った<ことば>であることが実感され、数式が身近な生命を帯びたイメージとして感じられるはずです。具体的計算を通して、この意味を帯びたことばとしての数式感覚を育て上げていくことが大切だと思います」
G「なるほど、数式に生き生きとしたイメージが伴わなければ、それは本当に数式を理解したことにはならないわけですね。そしてその本当の意味が分からなければ、それを使って現実の問題を解決していく実践力も生まれない。先生が分数の割り算を不必要と考える理由もそこにあるのですね。数式の背後にある具体的状況が浮かばないような計算ばかりしていてはこの大切な実践的な感覚が身に着きませんからね。」
私「その通りです。数学が分からないという子供のほとんどは、数式に意味を見出すことができない子供たちです。そしてなぜそうなるかと言うと、そうした教育がなされていないからです。意味やイメージを排除して、ただ機械的規則だけたたきこんで、結果だけあっていいればよいという<忍耐力一本槍>のやりかたが、いかに本筋を外したまちがいであるか、これでおわかりだと思います」
C「なるほど。そうした子供に一方的な忍耐力を強要する教育が、実は数学嫌いを作り出しているのかもしれませんね。最初はそれで通用していても、いつか限界にぶちあたり、先に進めなくなりますからね」
私「努力しても報われなければ、やがて一は努力することのむなしさを感じるのではないでしょうか。忍耐力を強要するまちがった教育理論の罪はここにあります。忍耐力を強要する教師が、実は忍耐力を子供たちから奪っているのですが、彼らはそのことを認識しようとしないのです」
D「数学嫌いを作り出しているのは、子供に忍耐力がないからではなく、子供から忍耐力をうばうような、あやまった教授法に原因があるというわけですね。これは私も教師として肝に銘じておきたいですね。数学だけではなく、読書指導などにもこのことはあてはまるかもしれませんね」
私「そうです。数学だけの問題ではありませんね。調査によると、国語が苦手だという子供が数学以上に多いようですからね。しかし、国語教育の問題についてはまた今度の機会にして、話を数学教育に戻しましょう。話がすこしずつ煮詰まってきて、本質論に近づいたようですから、これからの議論がたのしみです。どうぞ、Fさん、発言して下さい」
F「分数の割り算を小学校で教えないとして、それでは中学校で教えるときにはどう教えるべきでしょうか。私たちが習ったのは、いわいる<ひっくり返してかける>という方式ですが、こうしたやり方はたしかに機械的で意味がともなわない典型ですね。そこで、意味やイメージが明瞭な、これぞという合理的な教授法があるなら、ぜひ教えてほしいものですね」
<今日の一句> さわやかな 木立のみどり 日のひかり 裕
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