橋本裕の日記
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2002年06月11日(火) 万葉の大地

「万葉集」とのつき合いは、もう30年近くになる。十数年前に、これをもっと本格的に研究したいと思い、大学の通信教育を受けたりしたが、結局雑事に紛れて思いが果たせなかった。

 しかし、今も、ときおり万葉集や、それに関連した書物を広げて、あれこれと瞑想に耽る。このひとときが、またとりわけ楽しい。万葉集は原生林の茂る大きな山のようでもあり、森と泉に囲まれた大地のようでもあるが、何よりも人間の心のふるさとである。人間の心の美しさ、情愛の豊かさを知りたければ、万葉集を読むのが一番である。

万葉集に「稲鬘」(いなかずら)という言葉が出てくる。上野誠さんの「万葉人の生活空間」によると、鬘(かずら)とは植物で作った髪飾りで、青柳やアヤメクサ、ユリ、橘などで作るものらしい。輪にして頭に載せるか、髪に挿したりした。

 万葉集の中に、坂上大嬢(さかのうえのおおいつらめ)が大伴家持に稲鬘を送った歌があるので紹介しよう。ちなみにこのとき坂上大嬢は18歳、家持は21歳である。時は天平11年(739年)9月で、二人は少し前に結ばれていたが、当時のしきたりに従って、別々に暮らしていたと思われる。

 我が蒔ける早稲田の穂立て作りたる
 鬘そ見つつ偲ばせ我が背         (坂上大嬢 巻8−1624)

 坂上大嬢は耳成山のふもとにある竹田の庄(橿原市東竹田町)に母親の坂上郎女と一緒にいたらしい。家持のいた大伴家の邸宅は平城京の近くの佐保(奈良市法連町)にあって、竹田の庄までの距離は約20キロメートルで、馬を走らせれば数時間の距離である。この歌に、家持はこう返している。

 我妹子が業(なり)と作れる秋の田の
 早稲田の鬘見れど飽かぬかも   (大伴家持 巻8−1625)
 
 大伴家は由緒正しい貴族である。家持はその御曹司だし、いとこの坂上大嬢も深窓の令嬢であってもおかしくない。その令嬢が稲作りを生業としている訳はないが、田に出て、農作業のまねごとくらいはしたのかもしれない。家持の歌にある諧謔は、そうした妻への愛情でもある。

 驚いたことに、坂上大嬢はこのあとさらに、身につけていた下着を家持に送っている。家持の「身に着る衣を脱ぎて家持に贈りしに報ふる歌」を次に引いておこう。

 秋風の 寒きこのころ 下に着む
 妹が形見と かつも偲はむ   (大伴家持 巻8−1626)

 古代では恋人同士や夫婦が下着を交換して、それをお互い身につけることで愛情を表現したようだ。形見というのは現代では死んだ人の名残を言うが、昔はそうではなかった。生きているうちから、おたがいに形見を交換し、それを見たり、身につけたりして相手を思っていた。

<今日の一句> 青葉打つ 雨音さやか 障子越し  裕


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