橋本裕の日記
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2002年05月22日(水) 写生の楽しみ

 小学生の頃、よく写生大会があった。若狭の小浜市に住んでいた頃は、土曜日を一日つぶして、学校から画板を下げて、思い思いの場所に出かけたものだ。小浜市は港町だから、港に行くと漁船がたむろしている。私は画題として、漁船をよく描いた。

 中学生の頃、美術の先生が、私の絵を「写真のようでつまらない」と評した。「もっと自由に描きなさい」と言われて、それから、空を紫色にしたり、肌の色を緑にしたりして、おもわぬ面白い絵を描くようような連中が現れたが、結局私はそんな絵は好きになれなかった。

 その後、ゴッホやピカソの絵が面白いと感じるようになったが、今はとりたてて好きだというわけではない。セザンヌやシャガールは好きだが、ミロとかダリのような絵は余り好きになれない。「芸術は爆発だ」などとのたまわう岡本太郎も苦手である。

「日本では昔から写生といふ事をはなはだおろそかに見て居ったために、書の発達を妨げ、文章も歌もすべてのことが皆な進歩しなかったのである。それが習慣となって今日でもまだ写生の味を知らない人が十中八九である。書の上にも詩歌の上にも、理想ということを称える人が少なくないが、それは写生の味を知らない人であって、写生といふことを非常に浅薄な事として排斥するのであるが、其の実、理想の方が余程浅薄であって、とても写生の趣味の変化の多きには及ばぬことである」

 正岡子規の「病牀六尺」からの引用だ。こうした文章に出会うと、風通しのよい庭先にでも立ったような気がして、何だか少しホッとする。理想と主張することも大切だが、それは客観性の軽視であってはならない。芭蕉が偉大なのは、彼が理想主義者でありながら、しかも客観を尊ぶ精神を持っていたからだろう。「竹のことは竹に習え」という彼の言葉がそのことを語っている。

<今日の一句> アサリ汁 海の匂ひの 朝餉かな  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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