橋本裕の日記
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2002年05月08日(水) 若き日のガリレオ

 ガリレオの伝記を書いてみたいと思っていた。近代科学の父と呼ばれるガリレオの思想や業績をたどり、波瀾万丈の生涯をたどることは、科学とは何か、宗教とは何か、近代的精神とは何か、そしてそもそも人間とは何かという問題を考える上で、絶好の材料だからだ。ガリレオから、人間の歴史そのものが見えてきそうである。

 ガリレオが生まれた1564年にルネッサンスの巨人ミケランジェロが死んでいる。そしてガリレオが死んだ1642年にニュートンが生まれている。ガリレオはルネッサンスと近代を結ぶ橋でもあった。

 そして、ガリレオと言えば、まず浮かぶのがピサの斜塔での有名な実験だろう。ここから重さの違う二つの鉄の玉を落として、重い物体ほど早く落ちるというアリストテレスの説をくつがえした。これは伝説だが、おそらく事実だったのだろう。ガリレオ自身が弟子に語っているからだ。

 彼は早熟で、すでに大学生の頃、アリストテレスの説に疑問を持ち、教師に質問したらしい。しかし、教師は彼の質問をはねつけた。それ以来、彼は大学の教師を軽蔑するようになった。教義に固まり、自分の頭で考えようともしない権威主義の俗物達ばかり。教授のガウンを着て威張っていても、中身はからっぽだから、たんなる空威張りでしかない。

 そのころ、彼はたまたま数学者オスティリオ・リッチの講演を聞いた。そしてたちまちユークリッドの「原論」とアルキメデスの数学の魅力にとりつかれる。彼はもともと医学の勉強をするはずだったが、頭の中にはもう数学しかなかった。そして、1585年、21歳のガリレオは4年に及ぶ大学生活のあと、結局学位を取得することもなく大学を去ることになる。

 ところが、彼は25歳の時、力学の研究で知り合ったウバルド侯爵の知遇を得て、彼の推薦により、母校ピサ大学になんと数学教授として戻ってくる。ピサ大学にすれば思いもよらなかったことだ。かっての議論好きの生意気な学生が教授とは。しかも、彼の性格は少しも変わっていなかった。彼は教授のガウンを着ることを拒否した。そしてこんな戯れ歌を作った。

   ガウンを着たまえ
   いかめしい顔をして威張り散らす馬鹿なら、
   ガウンを着たまえ。
   それが大学のユニホーム。
   ガウンを着たまえ
   規則が大事な奴は
   ガウンを着たまえ
   そいつらの仲間に入ったら
   売春宿にさえ行けない・・・

 ガリレオは女好きで、若い頃から売春宿にいりびたっていたらしい。それにしても、女遊びができないから、学者のガウンを着ないというのは、とんでもない言いぐさである。こんな型破りの教師だったから、大学当局からにらまれた。4年後の1592年に、彼は契約の更新を拒否され、ピサ大学を去ることになる。

 さいわいなことに、そのころパドヴァ大学の数学教授の口があいた。ピサ大学は彼をそこに推薦した。とにかくガリレオをピサの地から一刻も早く追い出したかったらしい。目の敵にしていたガリレを追い出して、ピサ大学の学者たちに、ふたたびつかのまの平和が訪れた。

<今日の一句> 梅雨のごと 雨降る夜に 書をひらく  裕


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