橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
昨日に引き続き、「虚数の情緒」(東海大学出版)について書こう。著者の吉田武さんは「巻頭言」にこんなことを書いている。
「著者は、現在の日本型教育の最大の問題点は『教え過ぎ』の一言に集約されると考えている。十分な理解を得る暇もなく、次から次へと大量の法則、公式、事例などを、これでもかと流し込んで行く、その結果は、大きく二通りに分かれる。
流し込み、詰め込みに成功した者達は、大学教授までは良い結果を残し、あたかも人生の成功者の如く振る舞えるが、反面、幅の広い考え方を学ぶ機会を逸する場合が多く、伸び悩む者も多い。
一方、失敗した場合には、大きな挫折感とともに『知的下痢状態』とでもいうべき虚脱感に襲われ、その後一切の知的活動を受け付けなくなる者もいる。どちらにしても日本の将来について望ましいことではない。
特に、問題なのはその低年齢化である。学ぶ内容によって、それを学ぶに適切な年齢というものがある。これらを全く無視し、興味の持てない事柄を、暗記力を頼りに形式的に学習させていくと、真に美しいこと、不思議なこと、を感じ取れる適切な年齢になる前に感受性が麻痺してしまう。これでは学問は無感動な若者を大量に世に送り出すだけの遺物になってしまう。
教育に携わる者にとって、最も重要な行為は、『人の心に火を点ける』ことである。一旦、魂に『点火』すれば、後は止めても止まらない。自発的にその面白さの虜となって、途を極めていくだろう。それでは、どうすれば点火するのか、点火装置はどこに在るのか。それは『驚き』の中に在る。
『驚き』を教えることは、何人にも出来ない。人が驚ける能力、これこそ天からの賜である。この意味に於いて、子供は天才である。驚きを失った大人に点火する方法はない。火種は尽きているのである。
ところが、昨今、この掛け替えのない『驚く能力』を摩滅させる行為が白昼堂々と行われている。徒に知識の量を増やし、何事にも『驚かない子供』を教育の名の下に大量生産している。これはあきらかに犯罪行為である」
学問の母が「驚き」であることは、アリストテレスも言っている。驚くためには、「ものそのもの」との、本当の出会いがなければならない。現在の知識偏重の教育は、この出会いを子供たちから奪っている。吉田さんが言うように、これはたしかに、人間のたましいに関わる、第一級の犯罪行為である。
|