橋本裕の日記
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2002年02月23日(土) 日本人の脳

 私たちの体はほぼ左右対称になっている。臓器も肺や腎臓などは、左右2個備わっていて、片側だけでも何とか生きていける。同様なことは目や耳についてもいえる。これは私たちの生存率を上げるために役立っている。

 大脳も左右で二つに別れていて、左脳、右脳と呼ばれている。大脳の場合、片方が毀損したら、もう片方が機能を代替できるのだろうか。残念ながら、それはできそうもない。私たちの脳はかなり早い時期に、左と右で機能分担が固定化してしまって、その後の転換がむつかしいからだ。

 それでは左脳と右脳は具体的にどのような機能を分担しているのか。これを明らかにしたのは、1981年にノーベル賞を受賞したアメリカの大脳生理学者、ロジャー・W・スペリーである。そこで、彼らの研究からわかった内容をいくつか紹介しよう。

 左脳は一般に「言語脳」もしくは「ロゴス脳」と呼ばれる。言語処理がここで行われるからだ。計算もここで処理する。論理的で分析的なデジタル思考をするとき、私たちは左脳を使う。だから左脳を損傷すると、言葉が話せなくなり、計算もできなくなる。これは生きていく上でかなり大きな障害である。

 一方右脳は「直観脳」もしくは「パトス脳」とよばれる。非言語的な図形の認識や、音楽やイメージなどの感性的な認識やアナログ的で総合的な思考を行う。ここが損傷しても言語障害にはならない。つまり、「読み」「書き」「暗記」は普通にできる。しかし、「総合理解」「応用」「視・知覚及び空間の認知」「感情理解」が困難になる。

 たとえば、迷路やパズルができなくなる。アナログ表示の時計を見ても、時刻が読みとれない。本がすらすら読めるようで、感動や情緒が伴わず、内容の把握もできない。つまり、細かい点について指摘はできても、あらすじを説明したり、全体の把握はできない。情操をともなった芸術的表現や創造性がなくなり、未経験のことに対して判断ができなくなる。

 言語が発達していなかった頃、左右の脳の差異はなかったのだろう。言語能力の発達にともなって左脳のデジタル化がすすみ、左右の機能の分化が生じたと見られる。その結果、本来左脳が右脳とともに持っていたアナログ的直観力や感性的な能力はおもむろに消滅した。そして右脳がこれを専門的に受け持つようになったと見られる。

 もっとも、ここに少々例外があって、たとえば日本人の脳は、いまだに左脳に右脳的な非言語的機能が残っているらしい。たとえば私たち日本人は、虫の音を左脳で聞く。泣き声や笑い声、風の音、せせらぎの音、こうしたものを左脳で聞いているのは珍しくて、欧米人のみならず、中国人や韓国の人とも違っているという。角田忠信さんの「右脳と左脳」から一部引いておこう。

「こういうパターンからいいますと、西欧人の場合には、ひじょうに論理的な知的なものだけが言語脳に偏っている。これはロゴスであらわされる。非言語脳のほうはパトス的なものを分担する。しかも自然界に存在するほとんどの音がこちらに入っている。すなわち感情だとか自然の音がみなこちらに入っている」

「そういう意味で音の分担としては、知的なロゴスと、パトスを含めた自然全体とに分かれてしまう。ところが日本人の場合には、こちらの知的なもののなかに感情的なパトスが入りますし、それから自然の音も入ってしまう」
 
「われわれは、それも道を歩いていて、コオロギが鳴いている音とか、自然の音はすべて取り入れてしまう。ですから、われわれは動物に近いような、動物に親和性のあるような脳を持っているのだと思うのです」

 西欧人の場合、左脳と右脳に機能を分化させたあと、これを脳梁で繋いで左右の脳の働きを統一している。これに対して、左脳偏重型の日本人は、左脳の内部で大方の統一ができている。日本人はロゴスとパトスを分離しないで、左脳に両者を同居させたまま生活しているわけだ。

 美的感受性に優れた日本語は、こうした日本人の脳から生まれた特質を持っているのだろう。自然親和性の高い、感性的な彩りと潤いにみちた日本文化も、こうした日本人の脳と無縁ではなさそうである。

(参考文献) 「日本人の脳」(角田忠信著、大修館書店)
        「右脳と左脳」(角田忠信著、小学館ライブラリー)


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