橋本裕の日記
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予備校が実施する模擬試験に出された問題が、そのまま翌年の入試問題に出されて、評判になることがあるらしい。たとえば藤田省三の「或る経験の喪失」という本の中から抜き出した問題が、始めも終わりも全く同じ上に、設問までそっくりで翌年の共通テストに出題されるということがあった。
出題したM先生は、問題文が酷似しているということで、「過去一年間に大学入試センターに行ったことはなかったか」と新聞社の取材を受けたらしいが、「去年の夏に入試センターの横の道を歩いておりますとな、空から一枚の紙がヒラヒラと舞い降りてきましてな・・・」と煙にまいたという。
M先生の場合は問題の予想は次のようにしておこなうのだという。過去10年間の共通テストの出題者を調べると、ほとんど東大系の岩波文化人で進歩的な知識人であることがわかる。そこで、それらの知識人に的を絞って著作を読む。
そうすると、一冊の著作の中で、問題文に使えそうな部分はせいぜい、一、二カ所くらいしかない。だからレベルの高い二人の出題者が同じ本で問題を作ると、同じ結果になることも珍しくはない。
こうしたことが起こる背景には、出題が偏っているということが考えられるが、これは他の教科もおなじである。たとえば大学入試の英語の問題の出題者は文科系か言語学系と相場が決まっている。言語学系の先生は日頃の読書量が乏しいので、どうしても専門の言語学の素材に偏るらしい。
大学入試センターの現代文の場合、一番が評論文で、二番が文芸文というパターンになっている。しかし、現代文をこの二種類の分野の文章に限定することの教育的意味は何か。河合塾の丹羽さんはこのことに疑問を呈している。
「センター入試の受験者は2000年度の場合55万人弱で、このうちの二分の一は理系である。その子たちがなぜかなり難解な、西洋近代の思潮を基調にした評論文や、文芸文に頭を悩まさねばならないのか。つまり日本の入試現代文は、評論、文芸の専門家たちに占拠されているのだ。これは国語本来の教科的使命を考えた場合、変である」
そこで韓国の統一テストを調べてみたら、驚いたことに、第一問から第五問までが聞き取り問題だった。そのあとに登場するペーパーテストも、評論、文芸文の他に、さまざまな分野の題材が登場して、「読解力」、「論理的思考力」、「要約する力」などが問われている。ききとり問題がどんなものか紹介しておこう。
<第一問>学級委員に当選した男女二人の挨拶を聞かせて、論理性や感性の違い、個性の違いを問い、いずれが学級委員に有能であるかを考えさせ、解答させる。 <第二問>詩の朗読を聞かせ、作者が何を言おうとしているのかを問う。 <第三問>男女二人の会話を聞かせて、設問に解答。 <第四問>教養講演を聞かせて、設問に解答。 <第五問>二人の学者の学術対談を聞かせて、設問に解答。
このように韓国の場合、文字としての国語のみでなく、音声としての国語も重視している。さらに、「国語」とは言わずに、「言語能力」としている。こうした実用本位の観点は他の教科の場合も同様で、英語の場合はとくに「使える英語」に的を絞って試験を実施している。
英語ではリスニングの他に、ペーパーテストでは150語程度の短文が50問も並んでいて、些末な文法にこだわらずに、限られた時間で内容把握を求める速読即解形式である。
日本の共通テストの問題を翻訳して韓国や中国の先生に見て貰ったら、試験の完成度が高いことは認めつつも、「何をねらいとしているのか、教育的意図がさっぱりわからない」という感想が返ってきたそうだ。
日本の入試の場合、教育的意図よりも選抜上の便宜が優先されてきた。そのために教育的観点を逸脱して、「悪問だらけ」という現状になったのだろう。丹羽さんは、「大学入試問題というものは生徒の学習にあたえる影響という意味では、教育課程よりも強い」と警鐘を鳴らしている。
大学では補習授業が盛んで、講師役として予備校に声がかかることが多くなったらしい。なかでも多いのが「日本語表現」の科目だという。「国語を教えてくれ」という声は聞かれないで、「論文が書けるようにしてくれ」「就職面接で成功するように言語能力をつけてくれ」と、要求されるのだという。「国語を教えろでない背景には、じつは日本の国語教育のたいへん大きな問題がひそんでいる」と丹羽さんは書いている。
私は受験数学の弊害について書いたが、こうしてみると、受験体制の病根はさらに深く、その他の主要な教科においても深刻な学力崩壊をもたらしていることがわかる。日本の教育の再生のためには、初心にかえって「教育的観点」という立場で、現在の受験体制を根本から見直してみる必要がありそうだ。
「初中等教育では国民が生きていくのに、最低限必要な装備を身に付けさせれば充分だと思う。そして学校に拘束する時間を最低限にし、それぞれの子供に必要なそれ以外の技能、学力、情操の教育は思い切って民間に任せればいいと思う」この丹羽提言に、私も基本的に賛成である。
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