橋本裕の日記
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2001年12月30日(日) 恋とさとり

 良寛と貞心尼が月夜を語り明かした庵は、島崎の木村家の一隅にあった。私がそこを訪れたのは、4年ほど前だったが、その建物は残っていなかった。当主の話では戊戌戦争の時焼けたらしい。

 庵のあったあたりは、草むらだった。しかし、その昔、貞心尼がここを訪れ、良寛と月を愛でたり、歌を作ったのかと思うと、感慨が胸に迫ってきて、なかなか離れがたかった。

 その後、二人はしばしば会っている。たとえば明くる年の初夏には、今度は良寛が福島閻魔堂に貞心尼を訪ねている。そして秋には貞心尼が良寛を訪ねる約束をした。ところが、10月になっても音沙汰がないので、良寛は「霜月4日」付の手紙で問い合わせている。

 ここで面白いのは、しだいに良寛が貞心尼への思いを募らせていくことだ。貞心尼は教養もあり、若くて美しかったから、これは自然な流れとも言えるが、そこには貞心尼の様々な恋の手管があったのではないかと思われる。約束を履行しなかったのも、あるいは恋の手管のうちかと、私は楽しい空想にふけったりする。

  君や忘る道やかくるるこのごろは
  待てどくらせど音づれのなき  (良寛)

  山のはの月はさやかにてらせども
  まだはれやらぬ蜂のうす雲  (貞心尼)

 良寛を月にたとえ、自分の迷う心を峰の薄雲にたとえている。迷いの故に、会えないと言っているが、何となく勿体をつけて、良寛の恋心をもてあそんでいる気配がないでもない。そうなると、純真な良寛の恋心はますます募る。周囲もこの状況に気付き、何かと噂を始めたらしい。しかし、良寛は一途に貞心尼をもとめる。

  身をすてて世を救ふ人もますものを
  草のいほりにひまもとむとは  (良寛)

(身を捨てて他人のために尽くす人もいるというのに、あなたは庵にひきこもってなにをしているのですか。私がこんなに会いたいと言っているのに・・・・)

 こうなると、「良寛さん、大丈夫ですか。性悪の女に引っかかってはいけませんよ」と、余計な忠告をしたくなる。貞心尼はこうしてさんざん良寛をじらした後、翌年の春、良寛もとを訪れる。このとき彼女は良寛の弟子になる契りをした。

  さめぬれば闇も光もなかりけり
  夢路をてらすありあけの月  (貞心尼)

  天が下にみつる玉より黄金より
  春のはじめの君がおとづれ  (良寛)

 さらに、翌年の文政13年(1830年)の春、良寛と貞心尼は与板山田家で落ち合う。そして再び夜をともにして語り明かす。ここにきて、二人の恋心は激しくもえさかる。そのときの歌を、いくつか紹介しよう。

  いづこへか立ちてぞ行かむ明日よりは
  烏てふ名を人のつければ   (良寛)

  山がらす里にい行かば小烏をも
  いざなひ行けよ羽よわくとも  (貞心尼)

  誘ひて行かば行かめど人の見て
  あやしめ見らばいかにしましけ  (良寛)

  鳶はとび雀はすずめ鷺はさぎ
  烏はからす何かあやしき  (貞心尼)

 もはや恋の手練手管や、世間の思惑、自身が清浄な仏弟子であることも放り出して、貞心尼の心は真っ直ぐ、情熱的に良寛に向かう。もうあなたのいうことなら、なんでもしますと、心身を良寛の前に投げ出している。

  歌やよまむ手毬やつかむ野にや出でむ
  君がまにまになして遊ばむ   (貞心尼)

  歌もよまむ手毬もつかむ野にも出でむ
  心ひとつを定めかねつも   (良寛)

  いかにせむ学びの道も恋ぐさの
  繁りていまはふみ見るも憂し  (貞心尼)

  いかにせむ牛に汗すと思ひしも
  恋のおもにを今は積みけり   (良寛)

 この時、良寛は74歳である。貞心尼と初めてまみえて、4年の歳月が流れていた。そして、このあと、良寛はにわかに病の床についた。翌年の一月に良寛の危篤を告げられた貞心尼は、越後の深い雪の中を駆けつける。

  いついつと待ちにし人は来たりけり
  今はあひ見て何か思はむ   (良寛)

  生き死にの界はなれて住む身にも
  さらぬ別れのあるぞ悲しき  (貞心尼)

  うらを見せおもてを見せて散るもみぢ  (良寛)

 貞心尼の献身的な看病のかいなもく、数日後の正月6日、午後4時ころ、良寛は貞心尼の見守る中で、座したまま往生をとげた。あまりにあっけない、恋の幕切れだった。

 しかし、貞心尼にとって、これは恋の終わりではなかった。彼女は良寛の歌をあちこち訪ね歩いて集め、良寛と詠み交わした歌を書き添えて、良寛歌集「はちすの露」にまとめた。貞心尼はこれを生涯肌身から離さず持っていたという。

 外出中に住居の閻魔堂が焼け、良寛の手紙や文献は失われたが、「はちすの露」はかろうじて残った。貞心尼は1872年(明治5年)2月11日になくなった。享年75歳である。そして、残された「はちすの露」が、良寛を後世に伝える最も貴重な文献になった。


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