橋本裕の日記
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文政10年(1827年)春、貞心尼が島崎にある良寛の庵を訪れたとき、良寛はあいにくそこを離れたあとで、不在だった。そこで、彼女は手鞠と一緒に、こんな歌を知人に託した。
これぞこのほとけの道に遊びつつ つくやつきせぬみのりなるらむ (貞心尼)
このとき、貞心尼は30歳だった。彼女は長岡藩士の娘として生まれ、17歳の時に医者の家に嫁いだが、5年で夫に死別し、それがきっかけとなって、23歳の時、剃髪し、尼僧の生活に入った。やがて良寛の歌や書を見て、その気高い美しさに驚き、弟子になりたいという思いを募らせていた。
良寛は秋になって、その庵に帰ってきた。貞心尼のことは噂で聞いていた。しかし、会いたいとは思わなかった。歌好きの尼など、鬱陶しいだけだからだ。ところが、彼女の手鞠と歌を見て、気が変わった。こんな歌を返している。
つきて見よひふみよいむなやここのとを とをとおさめてまたはじまるを (良寛)
良寛の返しの歌を見て、彼女は小躍りしたに違いない。「つきてみよ」というのは、「是非いらっしゃい」という良寛の許諾とも受け取れた。彼女はさっそく、嶋崎村の木村家に良寛を訪ねた。
月夜であった。貞心尼はあこがれの良寛を前にして、上気していたに違いない。彼女は色白でもち肌だと伝えられている。70歳の良寛も、恋いこがれて自分のもとにやってきた、この若い女性に心のときめきを覚えたに違いない。
君にかくあい見ることのうれしさも まださめやらぬ 夢かとぞおもふ (貞心尼)
ゆめの世にかつもどろみて夢をまた かたるも夢よそれがまにまに (良寛)
向ひいて千代も八千代も見てしがな 空ゆく月のこと問わずとも (貞心尼)
心さへ変らざりせばはふ蔦の たえず向かはむ千代も八千代も (良寛)
月を眺め、歌を詠むうちに、いつか二人の心が一つになっていた。夢のような出会いに二人はよろこび、そして時がたつのも忘れた。一夜を語り明かし、貞心尼が帰るとき、良寛は別れを惜しんで、こんな歌をおくった。
又もこよしばの庵をいとはずば すすき尾花の露をわけわけ
こうした相思相愛二人の交際は、その後5年間、良寛の死まで続く。そして、良寛は最後はこの貞心尼に看取られて息を引き取ることになる。そのとき、良寛はこんな辞世の句を詠んでいる。
うらを見せおもてを見せて散るもみじ
(あなたにはすっかり、私の裏も表もみせましたよ。そして、今、一枚の色づいた紅葉葉のように、はなやいだ気持でこの世を去っていきます。何も思い残すことはありません。どうもありがとう)
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