橋本裕の日記
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2001年12月13日(木) ミカンとリンゴの足し算

「3個のミカンと4個のリンゴを足したら何個になりますか」という算数の問題を出されて、「3個のミカンと4個のリンゴは足せません」と答えて叱られた子どもの話を読んだことがある。

 先生が期待した答えは、もちろん3+4=7だろう。しかし、多少の数学的センスがある人なら、この足し算は不可能だと考えた生徒の方に軍配を上げるにちがいない。なぜなら、この生徒の言うように、「3個のミカンと4個のリンゴは足せない」からだ。

 もし3+4=7を期待するのなら、「3個のミカンと4個のミカンを足したら何個になりますか」と問うべきだった。そうすれば、生徒は先生の期待通りの答え方をしたであろう。

 あるいは、「籠の中に3個のミカンと4個のリンゴが入っています。籠の中の果物は全部で何個あるでしょう」と問うことはできる。そうすれば、生徒は少し考えてから、3+4=7と解答しただろう。

 だから、「3個のミカンと4個のリンゴを足したら何個になりますか」というような無神経な質問はあまりしてほしくはない。ところが、現実にはこのような問いが教室で行われている。そして、生徒たちは、ただ機械的に3+4=7と答え、「はい、よくできました」と先生に誉められている。

「3個のミカンと4個のリンゴは足せない」ということは、「長さ3メートルの紐の長さと、面積が9平方メートルの円の面積は足せない(足しても無意味)」という例で置き換えてみればよくわかる。つまり長さと面積という次元の違う量はふつう足し算や引き算はしない。

 つまり、足し算や引き算は同等と見なせるものの間で可能だということである。ミカンとリンゴという質の違うものどうしの足し算を持ち出すことは、この原則に対する数学の正常な感覚を混乱させるおそれがある。そして、この感覚が破壊されると、後に学習するベクトルなどの代数・幾何の考え方がまるでわからなくなる。つまり、数学オンチになってしまうのだ。

 3個のミカンと4個のリンゴを足すということは、式で書くと、3a+4bであり、これはたしかに足せない。3個のミカンと4個のミカンを足すときは、3a+4a=7aが成り立つ。3個のミカンと4個のリンゴを足すためには、別にa=c、b=cという置き換えを要する。つまり「ミカン=果物、リンゴ=果物」と一般化する。そうすれば、ミカンとリンゴは同類項ということになり、3c+4c=7cという計算が可能になる。

 しかし、学習の初期の段階に、このような概念が錯綜した複合問題をおくことは、学習心理学上望ましいことではない。同時に二つの異質なことを教え込もうとすることが、しばしば学習に混乱を持ち込み、つまずきの原因になっている。この問題が現実から遊離した複合問題であるという自覚を、教師自身がもう少し持つ必要がありそうだ。

 以前に「分数の割り算」のことを書いたが、「3個のミカンと4個のリンゴを足したら何個になりますか」というような質問も、現実から遊離した「難問・奇問のたぐい」だろう。やはり、小学校、中学校の教育が大切である。数学上の理論を無視して、ただ計算が出来ればよいということでは、正しい数学的センスは育たない。

 私の二人の娘についても、小学校の算数を教えるのに腰が引けた。私が横から口を出したりしたら混乱するので、「先生の言うとおりにやるんだよ」と自重した経験がある。生自身が本当に理解して教えているのか、かなりあやしい。しかし、ひとりの先生がたくさんの教科を教えていると、そういうことになる。

 tenseiさんが掲示板に書いていたように、小学校に教科担任制を導入するのも一案かも知れないが、さらに大切なことは、先生に教材研究が可能なゆとりを与えることだろう。雑務に忙殺され、肝心の教科指導にまで頭が回らないのが小学校や中学校の現状ではないだろうか。

 算数の計算練習については、私は大いに行うべきだと思うが、それはやはり正しいやり方で、生徒に意味を理解させた上で行うべきだと思っている。算数=計算でないことも含めて、現在の学校教育のありかたを反省してみる必要がある。「滅び行く思考力」という本の中で、著者のJ・ハリーは点数中心の学校教育のありかたに警鐘を鳴らしている。

「教育的に重要であるが、ものさしでは測りにくいことが、教育的に重要でないが、測りやすいやすいことと、置き換えられています。今では学ぶ価値のないことを、どれほどうまく教えたか、われわれはそればかり測っています」

 生徒の学力を点数化するということは、「3個のミカンと4個のリンゴを足したら何個になりますか」という問いかけを正当化する論理そのものである。数学の点数と美術の点数を単純に加えて合計を出すことに、一体どんな意味があるというのだろう。

 本当に私たちは教育的に重要なことを子供たちに教えているか、ただ、試験しやすいということで、そして大学入試の選別に使えると言うだけで、あたかもそれが重要なことだと自らを欺瞞しているところはないか、私たち教師は自省してみる必要がありそうだ。


橋本裕 |MAILHomePage

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