橋本裕の日記
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| 2001年12月12日(水) |
心配な「物つくり大国」の将来 |
小学生の頃、よく模型飛行機を作ったものだ。竹籤を曲げて、翼を作り、そこに紙を貼る。よく飛ぶ飛行機を作るために、それぞれ秘密の工夫を凝らした。土曜日の午後など、公園にはそうした自慢の飛行機を飛ばす少年たちの姿があった。私も夢中になったものだ。
ノーベル賞受賞者が何人も出ているアメリカの有名な研究所を訪れると、まず最初に案内されるのがマシンショップ(工作機械室)だという。そこに腕のいい職人がいる。研究者はこうした技術者を大切にし、自慢にしている。
「たぶん日本の研究所だと、○○先生の研究室だとか××先生の実験室ところに案内し、有名な先生がいることをまず自慢するのではないだろうか。しかし、アメリカは違うのだ。オリジナルで独創的な装置を、ちゃんと自分で作っているのである」
青色発光ダイオードを発明した中村修二さんは著書にこう書いているが、彼も装置は自分でつくった。世界に二つとない独創的な装置だからこそ、世界に先駆けてた独創的な研究が生まれたのだろう。
「大手大企業の研究員は、必要な物は注文してそろえればいい。お金にまかせて、あれが必要、これも必要とやっていればいい。これがダメならあれで試そうという具合だ。一見、効率的に仕事が進み、完成に至る道のりも早そうなのだが、実は、これでは何ら独創的な結果は得られないのだ」
「物作りの基本は、想像力にあると思う。ああなるかもしれない。こうなるかもしれないという想像力を働かせて、試行錯誤をしながら物を作りあげていく。けれども、実際には当初の想像とは違って、うまくいかない部分が多く出てくる。それらを自分の経験や知恵で克服していこうとする。そして、この困難を乗り越えたところに創造的な物が生まれてくると思うのだ」
「手作りでコツコツ製品を完成させていった時、その過程の中でふと見えるあわい光のようなもの、それがその後に自分流となっていく。そして、この自分流を強く押し出し、徹底して貫くとき、さらに大きな成功が可能になっていくのである」
日本の中小企業にはすばらしい「もの作り」の伝統があり、中村さんのような優秀な技術者や職人がいて、彼らの創意と工夫が日本経済の基盤を支えてきた。しかし、いまその職人の世界がどんどん崩壊しようとしている。
「日本は大手企業に入ることが、まるで人生の目的みたいになっている。ここで出世して、あわよくばサラリーマン社長になるのが夢ということなのだろうか。こういう状況だから、日本では世界に通用するようなベンチャー企業が育っていかないのだ。・・・アメリカ流に言えば、一流大学など出て、大手企業に嬉しそうに就職していくような日本の若者は、みんな情けない男たちということになるだろう」
「成績のいいやつは大企業で、成績の悪い奴は中小企業でと、本人の好き嫌いに関係なく進んでいたのが、何年かすると半数は会社を辞めて他の会社に移ったり、あるいは家業を継いでいたりするものなのだ。それでまた何年かすると、不思議とそれぞれが好きな道を進んでいるのである。そして、この自分の好きな道を歩んでいる人が、だいたいは成功しているものなのだ」
「ならば、何も年をとってから好きなことをやるよりは、若い頃からやったほうがずっと伸びる。それは誰が考えても自明の理なのではなかろうか。学校の成績だとか、給料だとか、あるいは人間関係だとかには関係なく、とにかく最初から、というよりは十代前後の若い頃から自分の道を捉えて進む。そういうシステムがあれば、人はどんどん伸びていくと思うのだ」
日本の教育制度を見直す、大変重要な視点だと思う。「十代前後の若い頃から自分の道を捉えて進むことができるシステム」を早期に構築する必要がある。テレビゲームと携帯電話に熱中する世代から、どんなものが生まれるというのだろう。彼らと日本の将来がたいへん心配である。
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