橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
| 2001年12月10日(月) |
世界を変える発光ダイオード |
このところ、2年連続で日本の自然科学者がノーベル賞を受賞している。日本の科学技術もそう捨てたものではないなと思っていたが、青色発光ダイオード(LED)の開発者として世界的に知られる米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授の書いた「考える力、やりぬく力、私の方法」という本を読んで、この思いをあらたにした。と同時に、日本の教育体制や企業風土の旧弊を思い知らされて、暗澹とした気分にもなった。
中村教授は徳島大学工学部大学院修士課程を修了後、東芝の入社試験を受けたが落ちて、結局地元徳島県の日亜化学工業という従業員二百人たらずの田舎企業に入社した。ブラウン管の蛍光剤を製造していた会社で、電子工学部出身の技術者は中村さんひとりだけだった。就職して10年間は会社に言われるまま製品開発を続けたが、ほとんど売れなかった。そこで開き直って、周囲のだれもが無理だと言った青色発光LEDの開発に取り組みはじめた。
ちなみに赤色発光ダイオードを開発したのは、日本の西澤潤一東北大教授(当時)である。もし青色LEDの開発に成功すれば、これで光の3原色がそろい、白色発光ダイオードができる。現在世界中で用いられている白色電球をもはや無用の長物になる。なぜなら、白色発光ダイオードはずっと寿命がながく、省エネルギー効果も抜群である。
なぜなら、それは電気エネルギーを直接光に変える夢の技術だからだ。白熱電球を用いた交通信号の一機当たりの電力消費は、年間千八百円程度なのに対し、発光ダイオードを用いればわずか二百円程度ですむ。これはエジソン以来の技術革命だと言ってもよい。
実際、中村さんの発明のおかげで、今世界中の国で、交通信号が発光ダイオード式にかわりつつある。たとえば1999年にシンガポール政府は国内にある五万九千機の交通信号をすべて発光ダイオードに変えると発表している。現在各国の国際空港の滑走路を照らしている皎々とした明かりも白色ダイオードだという。やがて家庭もダイオードの明かりになるのだろう。
もちろんテレビやパソコンの画面も変わる。これでレーザー光線を作れば、これまでとは比較にならない大容量のDVDも可能になる。これまで映画一本分しか入らなかったDVDに10本以上が入るようになる。しかも、コンピュータの読み出しスピードも10倍以上早くなるので、これを搭載したやミサイルの発射スピードも10倍早くなるのだという。
省資源、高性能を実現する青色発光ダイオードの発明が、世界を変える巨大なビジネスになることがわかっていたので、世界の企業や大学は巨額の研究費と人材を投じて、青色発光LEDの開発に躍起になっていた。そんななかで、ろくな研究費も施設もない中村さんの孤軍奮闘が続いた。
中村さんに対して、会社はあまり協力的ではなかった。むしろ何度も書面で「青色発光ダイオード研究の中止命令」を出してきた。中村さんはこれをゴミ箱に放り込み続けたという。
「電話にも出ず、会議も一切無視し、人とも口をきかなくなった。当時、社内で私の話し相手と言えば、アシスタントの部下ひとりだったのだが、そのうち彼ともあまり口をきかなくなった。・・・当然会社では変人扱いされるようになっていた」
「半導体を扱っているのは私だけで、会社での上司に当たる人はみな蛍光体の製造をやっていたから、それこそもうボロクソに言われた。・・・『俺たちが苦労して蛍光体を作って売った金を、おまえはただ無駄遣いしているだけじゃないか。もう会社を止めろ』という具合なのだ」
こうした、約10年の四面楚歌と悪戦苦闘をへて、見事開発に成功した。中村さんのおかげで従業員数二百名足らずだった片田舎の会社が、いまや数千人を抱える中堅企業で、売上高も毎年倍々ゲームを続けているという。六階建ての発光ダイオードの生産工場や、同様なレーザー生産工場も完成した。
それにしても、同様の研究をしていた大企業が失敗して、中村さんが成功したのはどうしてだろう。そもそも青色ダイオードの発明は袋小路に入り、世界の学会でも当分不可能だろうと言わていた。ところが、日本の片田舎の、日本でさえあまり名前の知られていないマイナーな企業の、地方大学出の落ちこぼれ研究者が独力でこれをなしとげ、しかもまたたくうちに製品化したのである。彼はこの「奇跡」についてこう書いている。
「他の世界中の研究者、大手企業の研究員と私が決定的に違うところ、それは、大手企業や研究所は大勢のスタッフが分担して開発しているのに対し、私は一人で開発に当たってきたという点だ。しかも、半導体やダイオードとは無縁のバックグラウンドからたたき上げてきた。だから、その間に発光ダイオードについてのすべてのことを学んだという自負があったのだ」
「少年時代から、物事を深く考えることが好きだったせいもある。それが自分の得意技の一つであることを知っていたのだ。いつまでも、一つのことについて考えるには、私のクセでもあった。・・・期間で解けと言われれば、あるいは時間制限があったりすれば、たぶんあまり実力は発揮できないだろう。実際、高校の数学の試験などは、数式を証明するところから始めて、時間の足りないところがままあった。しかし、時間さえあれば、自分は絶対に問題が解けると信じて疑わなかった」
「私は青色ダイオードを開発するにあたって、何度も泥沼の袋小路をさまよった。しかし、いくら泥沼に落ち込もうとも、自分流を忘れはしなかった。自分のやりかたをかたくなまでに貫いた」
「製品化の強い催促を私は完全に無視して実験を繰り返し、論文を書き続けた。約一年間もこのような状態が続いたため、会社とはほんとうに危ない関係になっていたのである。だが、私はかまわなかった。そのようなことより、夢の実現の方が私には大切だったのだ。そして、結局それが会社にも大きな利益をもたらすものと確信していた」
中村さんの名前は「現代の発明王エジソン」として世界的に知られ、ノーベル賞に一番近い男と言われるようになった。世界の企業や大学が、何億、何十億というお金を積んで、中村さんを獲得しようとした。しかし、日本の企業や大学からの誘いはひとつもなかったという。
中村さんは日本を去ることを決断して、現在米カリフォルニア大サンタバーバラ校の教授として巨額の収入を得て、高級住宅地に豪邸を構え、潤沢な研究費にも恵まれて、優雅な研究生活を送っている。
会社をやめたのは、日本の企業風土が研究者や技術者に報いる体勢になっていないからだという。会社に何百億円という莫大な利益をもたらしても、中村さんが特許申請時に手にした報奨金は2万円のだけ。あまりにも見返りが少ない。中身さんは、研究成果に報いない現在の制度を変える必要性を訴えて、今や中村さんとともに世界的有名企業となった日亜化学工業を相手取り、特許権の帰属確認と正当な報酬の支払いを求める訴訟を起こしている。
さらに、日本で魅力的なベンチャー企業や人材が育たない最大の理由は「大学入試にある」と指摘。少し長くなるが、大切な指摘だと思うので、最後にその部分を彼の著作から引用しておこう。
「人間の頭脳が一番冴えているのは、やはり高校生ぐらいから二十歳前後の頃だ。日本では、この頃に過酷な大学入試がある。そのため、この最も貴重な時代を、無味乾燥で何の役にも立たない受験勉強ですごさなければならなくなる。創造性を養っている暇などなくなってしまうのだ。
ところが、皮肉なことにこの頃が一番素晴らしいアイデアが浮かぶ頃なのである。あまたのノーベル賞学者や、大発明家の多くは、この二十歳前後に浮かんだアイデアが持続されたために成功しているのだ。
日本の場合には、この出発の時期からしてすでに遅れている。この時期を大学受験で費やすため、いいアイデアが浮かんでくる余地がなくなっている。大学に入ってからではもう遅いと言っても過言でないくらいなのである。
だから、この頃に本当に好きなことやらせて、創造的で発展的で面白いアイデアを培っておく必要があると思うのである。そういうことから、私は大学受験をなくさなければならないと言っているのである。
大学受験を即廃止し、好きな大学、学部に自由に行かせたらいい。その代わり、卒業を難しくすればいいのだ。本当にやる気があるものだけが卒業できるのである。現在の日本の受験システムでは、生まれた瞬間から大学受験勉強のコースに入っており、即、暗記勉強の世界に突入させられる。このようなシステムでは本当にやる気のある若者が育つであろうか。
アメリカもたぶん四十年から五十年前は、日本と同じようなことをやっていたのではないか思う。しかし、アメリカのいいところは、徐々にではあるが教育システムを変えてきたところだ」
さて、日本の教育システムはいつになったら変わるのだろう。少しでも変えて行けたらとという。、ささやかな願いを込めて、これからもこうしてHPなどに駄文を書き続けていこうと思う。
|