橋本裕の日記
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2001年12月09日(日) 美しい文章の魅力

「私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此処でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである」 (「こころ」夏目漱石)

「山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした。その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんなことはあるまいと医者に云われた」(「城崎にて」志賀直哉)

 日本を代表する小説の冒頭の部分である。夏目漱石の文章はあまり主語の省略がない。英文学の先生らしい律儀な文章である。志賀直哉の文章になると、まったく主語が現れないことがある。独特の文章でありながら、読んでいて違和感はなく、自然そのものである。
 川端康成の「山の音」から引用しよう。

「枕元の雑誌を拾ったが、蒸し暑いので起き出して、雨戸を一枚あけた。そこにしゃがんだ。
 月夜だった。
 菊子のワン・ピイスが雨戸の外にぶらさがっていた。だらりといやな薄白い色だ。洗濯物の取り入れを忘れたのかと信吾は見たが、汗ばんだのを夜露にあてているのかもしれぬ」

 ここでも主語がほとんど省略されている。そのために、読者も自然に主人公の心象世界に入って、主人公とともに行動し、感じている。やはり、日本語の性格を活かした名文のひとつだと言えよう。

 英語に訳すときは、もちろん主語をおぎなわなければならない。今手元にある、Seidensticker氏の英訳本では、こんなふうになっている。

 He took up magazine at his pillow.Then,the room being sultry, he got up,opened a shatter,and sat down biside it.
The moon was bright.
One of his daughter-in-low's dress was hanging outside,unpleasantly gray.Perhaps she had forgotten to take in her laundry.or perhaps she had left a sweatsoaked garment to take the dew of night.

「月夜だった」は「The moon was bright.」と月を主語にして訳出されている。次に、英文の逐語訳を試みよう。

「彼は枕元の雑誌を取りあげた。そして、部屋が蒸し暑かったので、彼は起きあがって、雨戸を開け、その傍らに座り込んだ。
 月が輝いていた。
 彼の義理の娘の一人のドレスが戸外にかかっていて、不快な灰色だった。たぶん彼女は彼女の洗濯籠に取り込むのを忘れたのか、それともおそらく、彼女は汗のしみた衣服を夜露にあてるために残しておいたのだろう」

 逐語訳もそれほど違和感が感じられないかも知れない。ということは、それだけ私たちが翻訳調の日本語にならされているということだろう。しかし、文章の生き生きとした美しさが感じられない。やはり、川端康成や志賀直哉の文章を読むに限る。


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