橋本裕の日記
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2001年11月28日(水) 開かれた個

 大江健三郎氏がニュースステーションに登場して、「開かれた個」について語ったということを、北さんが教えてくれた。私は番組を見ていないから、大江さんがこの言葉で何を語ったのか知らない。だから以下に述べることは、まったくの私見である。

 私が「開かれた個」という言葉を聞いて考えたことは、個というものは「独自性」と「普遍性」という二つの側面を持つのではないかということだ。これまで「個性」と言えば「独自性」に中心を置いて考えられてきた。しかし、「普遍性」の側面も大切ではないか。

 例えば「文章」の場合で考えてみよう。個性的な文章というのは、その人独自の文体や内容をもつ文章をいうのだろう。しかし文章である以上、それは既定のルールに従った社会的普遍性を持っていなければならない。そしてこの普遍性や共同性があるから、文章は文章として流通し、他者に理解可能なものとなる。「普遍性」を砥石にして、「独自性」が磨かれ、文章の個性が深められる。

 つまり、普遍性によって独自な個は社会的に開かれた存在となる。同時に、社会的に開かれることによって、個は本当の意味で豊かな独自性を獲得する。なぜなら、独自性と言っても、それは他者との相克や交流の中で確立するものだからだ。

 普遍性や共同性から背を向けた個は独善的で閉鎖的になりがちだ。しかしまた、独自性を失い、普遍性に順応しすぎてもいけない。そこに生じるのは個の摩滅であり、個の崩壊であろう。「独自でありかつ普遍的であること」が個が個として生き生きと存在するために必要な要件ということになりそうだ。

 「開かれた個」というのは、こうした「独自性」と「普遍性」という二つの矛盾する原理を己の中に持って創造・発展する個であるということができるのではないだろうか。そしてもう一つ付け加えれば、そうした創造的な発展は外へと同時に、内部にも向かっているということだ。つまり、社会へと開かれた個は、同時に自己に対しても開かれた個となることができる。

 以上述べた、「開かれた個」についての考え方は、文明と文化の問題を考えるときも参考になるのではないかと思う。国の文化や伝統を考えるとき、それがゆたかに育つ条件として、「独自性」と「普遍性」の矛盾・相克が問題になろう。そこでは自らに対して開かれることと、世界に対して開かれることが必要となる。

 「独自性」と「普遍性」の矛盾・相克を自己の問題として生きることで、個人も社会も創造的かつ生産的になり、多様な豊かさを獲得する。「開かれた個」があって、「開かれた社会」がある。これからの日本人に求められるのは、こうした自己創造の原理に基づいて、「自己を社会や世界に開かれた存在にする」努力だと思われる。


橋本裕 |MAILHomePage

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