橋本裕の日記
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筋肉には二種類あるそうだ。短距離走などに必要な瞬発力を生み出す筋肉と、マラソンなどに必要な持久力を生み出す筋肉である。だから、運動選手はそれぞれの競技種目に見合った筋肉トレーニングをしている。
私の場合は、昔から短距離走が苦手で、運動会で走ったりすると、いつもビリに近かった。反対に持久走はわりあい得意で、校内マラソン大会ではいつも上位に入っていた。マラソンが得意なのに、短距離走が苦手なのは、今から考えると、筋肉の違いによるのだろう。
筋肉力に二種類あるとしたら、思考力にも二種類あるのではないか。自然と連想がそちらに行く。たとえば即興の会話やディベートなどに必要な瞬発的な思考力と、論文や文学作品をじっくり読んだり書いたりするのに必要な持続的な思考力である。
芸人や話芸の達人は瞬発的な思考力が鍛えられているのだろう。いわゆる頭の回転が速く、機転が利くタイプである。これに対して、学者や宗教家などというのは、どちらかというと頭の回転はそれほど必要ではない。むしろ、じっくりと腰を落ち着けて物事を粘り強く熟慮する姿勢が大切である。
ここまで書いてきて、広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩が浮かんできた。「弥勒」というのは「慈悲から生まれたもの」という意味だそうである。釈迦が入滅してから56億7千万年経てば、この弥勒菩薩が仏としてこの世に現れるという。未来に仏になるので、未来仏と呼ばれたりする。
広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩は、半跏思惟の姿で、右手の指先を軽く頬に触れるようにして物静かに夢見るように何事かを思惟している。たぶんいかにして衆生を幸せにすべきか考えているのだろうが、何しろ56億7千万年先のことである。随分気の長い、悠久な思考である。こうした息の長い思考は桁外れの持久力がなければ無理だろう。
これらの半伽思惟像には東洋的な叡智の奥深さと明るさが感じられる。同じ思惟像でも、たとえばロダンの「考える人」などは随分印象が違う。こちらの方は全身筋肉の固まりである。そして今にも立ち上がって走り出しそうな強靱な行動力を感じさせる。西洋を代表する思惟像がたくましい筋肉質の男性なのに対して、東洋の思惟がむしろやさしく女性的な菩薩の姿で表現されているところが面白い。
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