橋本裕の日記
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2001年11月15日(木) 科学と宗教の共生

 西洋民主主義には二つの源流がある。一つはギリシャに始まる科学的合理的思想で、もう一つは「キリスト教」に代表される一神教の信仰である。ヘレニズムとヘブライズムといってもよい。

 もっとも、中世初期のキリスト教は国家権力と癒着し、反動的で権威主義的だった。古代キリスト教の最大の思想家のアウグスティヌス(354〜430)は、「人間は聖書以外でどんな知識を得ただろうか。有益なものはすべて聖書に含まれている」と書いている。

 プラトンやアリストテレス、ユークリッドやアルキメデスなどのギリシャの学問は完全に無視されている。すべては聖書であり、しかもその聖書の解釈権は教会に属するわけで、個人的な解釈や研究は許されない。

 しかし、時代が下り、スコラ哲学を完成したトマス・アクイナス(1225〜1274)になると、学問としての神学が許される。彼自身は「神学大全」でアリストテレスの哲学を受け入れ、ユークリッドも認めた。古代キリスト教に比べると随分柔軟になった。哲学は宗教と矛盾しないと述べて、いちおう人間の思惟の価値を認めている。

 やがてルネッサンスが訪れ、ギリシャ的な人間中心主義が復活した。エラスムスが「愚神礼賛」を書いて教会の権威主義を批判し、さらにルターやカルヴァンが出て、信仰は神と個人の神聖な関係であるという「宗教における個人主義」が芽生える。「人は神の前で平等であり、だれもが司祭である」という立場だ。

 さらに合理主義者デカルトがこの戦いに加わった。彼の「我思う、ゆえに我あり」というのは、個人の思惟こそ絶対だという立場だ。デカルトは教会からさまざまな迫害を受けることになったが、彼の考えはその後の世界の歴史を変えた。啓蒙思想が起こり、王権や王権と癒着したカソリックは守勢に立たされる。

 近代民主主義はしたがって、プロテスタントと科学的啓蒙主義という二つの流れがあるといえる。しかし、この二つのものは決して別々のものではない。個人主義という立場で同じであるばかりではなく、内面的にも深くつながっている。それは教会に反発した科学者が必ずしも無神論者ではなく、むしろ熱烈なキリスト者であったことにもうかがえる。

 教会をあてにしないという意味で、プロテスタントの立場は独立自尊の自力主義にちかい。それはまた民主主義の精神にも資本主義の精神にも通底している。


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