橋本裕の日記
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2001年10月25日(木) 井戸を掘る人の言葉

 孤立するアフガンで献身的に医療活動や難民救助活動を行っている日本人がいる。その中の一人が、中村哲医師である。彼と彼を支える「ペシャワールの会」は、1984年より現地活動を開始し、パキスタン・アフガニスタンに1病院と10診療所を設立して年間20万人の患者診療を行ってきた。

 加えて2000年夏より戦乱についで今世紀最悪の干ばつに見舞われるアフガニスタンの村々で約600か所の井戸を堀続けてきたという。中村医師については10月10日の日記でも紹介したが、今日は彼の講演会の言葉を少し紹介しておこう。

「1989年、旧ソビエト軍がアフガンから撤退を開始しました。これによってパキスタンに逃れていたアフガン難民350万人がすぐに帰国するとの観測が流れ、国連は数百億円の予算(その多くを日本が拠出)を使って難民帰還計画を立てました。

 これに欧米の200を越えるNGOが群がりました。しかし、誰一人帰国する者はいませんでした。実はアフガンの戦闘がさらに激しくなったからです。生き残りを賭けるカーブルの社会主義政権と、戦いに勝って新政府の主導権を握りたいゲリラ各派がぶつかりあいました。

 そして、数千万個にのぼる未処理の地雷や不発弾もあります。そのような実情を無視して、国連や欧米のNGOは机上の難民帰還計画に熱中し、難民たちを翻弄しました。結局何一つ実現しませんでした。数百億円はどこに消えたのでしょうか。

 そして、1990年に湾岸戦争が勃発すると危険だという理由で、彼らの多くは難民を見捨てて撤退しました。その難民たちは、1992年4月にナジブラ社会主義政権が崩壊し戦闘が下火になると、自主的に帰国を始めました。

 今でもはっきり覚えています。彼らは胸を張り、希望に顔を輝かせて家財道具をトラックやラクダ、あるいはロバの背に乗せて、続々と国境を越えて帰還しました。信じられないような光景でした。夢のようでした。誰にも指図されず、誰の手も借りずに、自分たちの力で故郷へ帰っていったのです。一生あの光景を忘れないでしょう」

 今また、その人々が難民となってアフガニスタンの国境に押し寄せてきている。しかし国境まで逃れてきたのは、比較的裕福な人たちだという。多くの人は廃墟となったカンダハルやカブールなどの都会に取り残され、そのまま難民になっている状態らしい。

 以前、私は難民を助けるための募金先として、ユニセフのPHを紹介したが、中村医師は「ユニセフなどの援助団体に寄せられる募金の9割は、組織の維持のために使われます。残りの1割しか難民に使われません」と言う。そうすると、ユニセフに募金するのは少し考えものである。さらに、中村さんはこのように言っている。

「アフガンの農村においては、イスラム教の指導者(村の長老がなる)が寺子屋を開いて、子どもたちに字の読み書きを教え、クルアーン(コーラン)の暗誦させます。クルアーンには、人が人としてなすべき道徳や、日常生活の決まりが書かれてあります。そして、幼いころから大人と一緒に働いて仕事を覚えます。 それがこの国の農村における教育です。よく国連のユニセフあたりがこのような状況を見て「なんたる教育の貧困」を嘆き、学校を建設し、教育を施そうとします。しかし、私はそれが良いとは思いません。

 もし、すべての農村に学校を建設し、子どもたちに先進国なみの教育を施したら、学校を卒業した途端に村を捨て都会へ流れるでしょう。ほとんどの村が過疎で空っぽになることが予想されます。教育を通じて豊かな都会の生活を知るからです。それは日本がすでに経験したことです」
 
 過酷なアフガンの現場に長く身を置き、実際に汗を流して援助に携わった人だからこそ見えてきた現実だろう。ペシャワール会へ寄せられる募金の9割は実際の援助に使われるという。全くのボランティアで運営されるために、それが可能だということである。

 選択肢の一つとして、ペシャワールの会(NGO)を支援することも考えてみたい。ペシャワールの会には現在4000人ほどの会員がいるという。年会費は1万円。会員になると年4回ほど活動報告書が送られてくるらしい。

(参考サイト)ペシャワールの会 http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/


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