橋本裕の日記
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2001年10月24日(水) 難民の目で見た世界

 ブッシュ大統領は、どうしてテロを受けたと思うかと訊かれて、「それは我々があまりにGOODだったからだと思う」と答えている。たしかにアメリカは唯一の超大国として繁栄していた。地上の10億の人々が極貧状態にあるなかで、地上の資源を惜しげもなく使って、華やかな消費生活を送っていた。そして人々はそれを文明と呼んでいた。

 世界貿易センタービルはその文明の豊かさと優秀さの象徴だった。そこには世界の一流企業が本社を置き、世界経済の最先端で活躍するエリートたちが働いていた。世界で最も豊かで自由で安全な場所、それがニューヨークの中心部にそびえ立つ世界貿易センタービルだった。

 もし、これと全く対照的な世界はどこかと言われたら、それはアフガニスタンということになるだろう。飢餓と疫病、そして地雷と戦争の恐怖の中で、人々は地を這うような悲惨な暮らしを強いられている。

 この対極にある二つの世界はしかし、無関係ではない。アメリカの繁栄とアフガニスタンの貧困は、実はふかいところで繋がっている。端的に言えば、我々もふくめた西側世界の豊かさは、もう片方の世界の貧困を代償にして成り立っているのである。この地上における豊かさと貧しさは双子の兄弟だと言ってもよい。

 世界貿易センタービルは何故ツインビルなのだろうか。それはある心理的な充足感と安定感を私たちに与える。しかし、この充足感や安定感は見せかけであった。そればかりか、この世界の奥深い対立と矛盾を隠蔽するための虚像でさえあった。そのことを、こんどのビル崩壊の無残な映像が雄弁に語っている。

 しかし、このことをアメリカ人は実はすでに心の深いところで意識していたのではないだろうか。そう思わせるものが、このところのアメリカ映画にふんだんに描かれていたからだ。たとえば数年前に空前のヒットを記録した「タイタニック」がその代表だろう。

 アメリカ人は映画の中でやたらと自動車や地下鉄や飛行機や高層ビルなど、次々とモノをぶっこわし続けてきた。作家の日野啓三さんはこのことについて、「アメリカ人たちは意識下では自分たちがつくり出した機械文明が憎らしくてたまらないのではないか」(新たなマンハッタン風景を)と書いている。

 機械文明に対する憎悪もあるだろう。しかし、むしろそこにあるのは現代文明のいかがわしさにたいする不安やかくれた罪悪感ではないだろうか。この繁栄が実は実に脆いモノで、それはいつか何者かによって破壊されるに違いないという予感である。

 ツインビルは鏡のように自画像を写す。人はビルの中にいながら、ビルの中にいる自分の姿を、眼前の双子ビルに重ねて想像することができる。しかし、そこのあるのは異質なモノとの対話を拒んだ、自己閉鎖的な安心感と満足感でしかない。その虚像の欺瞞に人々はすでに気付きはじめていた。そして不安と焦燥が広がりつつある中で、まさに今度の事件が起こるべくして起こった。

 ところで、いまアフガニスタンは史上最悪の干ばつに襲われている。干ばつは突然やってきたものではない。この十数年間、アフガニスタンを東西に横切るヒンズークシ山脈に降る雪の量が毎年目に見えて減り、雪解け水の量も激減していたという。あきらかに地球温暖化の影響だろう。

 そしてとうとう昨年アフガンには雨が一滴も降らなかった。川は干上がり、地下水の水位が下がって、井戸は枯れた。田畑や牧草地は乾き、砂漠になった。飢餓と水不足で約100万人が餓死し、今も餓死しつつあるという。

 このことは全くといっていいほど先進国では報道されなかった。アメリカは地球温暖化対策には冷淡で、京都議定書にも同意せず、ただ自国の経済の繁栄を優先させた。しかし、環境破壊の上に成り立つ繁栄がいかに危うく脆いものか、今度の世界貿易センタービルの崩壊を機会に、私たちはもう一度根本から考えてみるべきではないか。

 ニューヨークを訪れた観光客の多くは世界貿易ビルに登った。そして自分を数百メートルの文明の高みにおいて、世界を睥睨した気分になった。しかし、私たちはときには、アフガニスタンの難民キャンプの中で飢えと寒さに息絶えようとしている子供の目で、世界を眺めてみるべきではないか。そのとき、世界は全く別物に見えるに違いない。


橋本裕 |MAILHomePage

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