橋本裕の日記
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2001年10月13日(土) 同時多発テロから学んだこと

 最近、何だか憂鬱である。アメリカで起きた大規模なテロや、その後の動きを見ていると、言いようもなく淋しい気分になる。とくにアメリカによるアフガン空爆の報道に接してから、この気分ははなはだしくなった。空爆そのものも不愉快だが、それ以上に気を滅入らせるのは、それを当然と考える世論の趨勢である。

 正直言って、タリバンやビンラディンが好きではない。アメリカで起こった同時多発テロとの関わりはかなり濃厚だし、たぶん限りなく黒に近いのではないかと思う。しかし、だからといって、これを悪の代名詞のようにきめつけて、「殲滅せよ」というのはどうだろうか。まさに洗脳された狂気の世界に生きているような不気味さを覚えずにはいられない。

 こうした病的な志向性はナチズムの全体主義やユーゴスラビア内戦で行われた民族浄化の思想にも通じている。あるいは異物を排除しようとする現代の極端な清潔志向の現れと見ることも出来よう。その根底にあるのは現代人が魂の内部に押し殺している死にたいする恐怖や不安であろう。

 私は今アメリカが行っている軍事行動は、テロリスト以上に罪深い所業だと思う。それは何も、この無慈悲な攻撃によってあらたに何百万という難民が生まれ、さらに悲惨な状況が無実の人々の上に覆い被さるからという理由からだけではない。

 テロリストに対して、だれも愛や正義を要求することはない。しかし、自由と民主主義を標榜する超大国アメリカに、私たちはもうすこし高尚なものを要求したいのだ。アフガンの歴史を見れば明らかなように、アメリカにはこの地域が直面するさまざまな危機的状況にたいして歴史的責任がある。このことをもう少しアメリカは自覚すべきだろう。

 アメリカはテロリストを打倒するだけではなく、この地上をもう少しまともなものにしたいと考えている人間の理想と努力をもうち砕こうとしている。そうした人類の未来に対する夢と理想を無慈悲にうち砕き、世界の良心的な人々や飢餓に苦しむ人々にこれ以上の絶望を与えることをして欲しくないのである。

「ぼくは思う。暴力は暴力の連鎖しか生まない。報復をすればさらに凶悪なテロの被害が、アメリカ人だけでなく世界中の人間に及ぶことになろう。巨大な破壊力をもってしまった人類は、パンドラの箱を開けてはいけない。本当の勇気とは報復しないことではないか。暴力の連鎖を断ち切ることではないか。人類の叡智と勇気を誰よりも示せるのは、世界一の力を自ら動かすことのできるブッシュ大統領、あなたではないのか」

 これは音楽家の坂本龍一さんが朝日新聞に寄せた一文である。ニューヨーク在住の坂本さんは、第一報を聞いて、いてもたってもいられなくなり通りに出たが、炎上するWTC(世界貿易センター)ビルを茫然(ぼうぜん)と見ながら、腰が萎えるようなショックを受けたという。そうした悲惨を目撃した彼が、その怒りと悲しみを乗り越えて、このような文章を書いていることに、私はいくらか心に明かりが灯る思いがした。

 報復しない勇気だけが希望を生む。しかし、空爆は始まってしまった。時間の針はもう元には戻せない。したがって私たちは新たな希望を創り出さなければならない。そして希望はこの場合も「報復」の中にはなく、「対話」の中に求められる。アメリカに少しずつ理性と冷静さが戻ってくることを期待しよう。タリバンを殲滅しようとするのではなく、これと対話し、ときには妥協することが必要である。

 アフガニスタンが平和で豊かな国になることが、すなわち私たちが平和で幸福に暮らす前提なのである。これを今回のテロから私たちが学んだ第一の教訓にしたいものだ。繰り返し書いておこう。報復からは何も建設的なものは生まれない。私たちは時には「悪」とすら対話を試み、これと共生する忍耐を持つことも必要である。

 それはたしかに困難な道かも知れない。しかしこの試練を乗り越えることなくして、人類はもはや希望のある未来を切り開くことは出来ない。報復がもたらすものは、たんなる破壊である。そこにあるのは「力による支配」を正当化する弱肉強食の論理であり、その行き着く先にあるのは、人間の人間に対する不信と、人間という存在に対する「絶望」だけだろう。


橋本裕 |MAILHomePage

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